(12) PAK40 7.5cm対戦車砲-勇者の砲列

2004年7月13日


 1944年6月、ノルマンディー上陸を計画していた西側連合軍にとって予想される最大の脅威はドイツ装甲部隊だった。
 しかし、実際の西部戦線でのドイツ装甲部隊の組織的な反撃は、上陸直後のカーン・ファーレーズの会戦とアルデンヌの戦いにとどまる。ドイツ装甲部隊は東部での長い戦いに体力を使い果たしていたのである。ドイツ重戦車群はあまりにも少数であり、いったん消耗すると回復は困難であった。
 装甲部隊に代わって、連合軍の現実の脅威となったのは拠点々々に配備された対戦車砲である。その対戦車砲兵――装甲猟兵の主要装備がPAK40 7.5cm対戦車砲であった。

 物資の豊富な西側連合軍はドイツ対戦車砲の脅威を取り除くため、しばしば待ち伏せに向いたブッシュなどに予防的な砲爆撃を加えた。敵の有無や位置を確認しないで行う攻撃である。
 推測が的中してそこに対戦車砲があれば、対戦車砲部隊は当然被害を被る。だが、多くの場合対戦車砲兵は被害に耐え、じっと砲爆撃がやむのを待ち続けた。そして、前進してくる連合軍戦車を引き寄せ、攻撃するのである。近距離から発射されるPAK40の7.5cm徹甲弾の威力は絶大で、うまくやれば数台の連合軍戦車を瞬時に破壊することができる。
 当然、すぐさま戦車は反撃する。今度は発砲炎から対戦車砲の位置は知れているので、砲撃は正確だ。結局、戦いはドイツ側の全滅か降伏で終わる。
 西部戦線の対戦車戦闘の現実とは、おおむねこんなものである。それでも、多くのドイツ対戦車砲兵は任務を全うしたのだった。

 PAK40はドイツ最後の主力対戦車砲である。1941年に戦場に投入され、そのまま戦争の終わりまで主力の座を占め続けた。
 この砲はPAK35/36 3.7cm砲とPAK38 5cm砲に続くものであり、ある意味で対戦車砲の限界を示した兵器であった。3.7cm砲の500kg、5cm砲の1トンに対し、この7.5cm砲は重量1.5トンに達し、運用上さまざまな支障が出た。対戦車砲は最前線で活動する関係上、人力で砲全体の向きを変えたり、短距離の搬送を行う必要がある。迅速さが求められるこれらの作業に1.5トンの重量は過大であった。
 ドイツでは、もっと強力で大型の対戦車砲も作られたが、それらが対戦車砲の主力の座を占めることはなかった。高威力大重量の対戦車砲は従来の砲と兵器としての性格を異としていた。戦術的機動性を失ったこれらの砲は、どちらかといえば野戦陣地に固定装備される防御的性格の強い兵器であった。
 本来対戦車砲は機動兵器でなくてはならず、重量の限界に近づいたPAK40の登場以降、ドイツが余剰装軌車両の車台を用いた対戦車自走砲の生産に熱心になったのもそのためであった。

 この事実は装甲兵器の防御力がさらに強化された場合、もはや対戦車砲の改良では対処できないことを意味する。戦後は、高性能の成形炸薬弾頭をもつ無反動砲や小型ミサイル発射機が対戦車砲にとって代わっていった。

 大戦末期のドイツ対戦車砲兵の活動は、大量の対戦車砲が利用された史上最後の例である。対戦車砲の戦術は、他の砲や戦車と連携して攻撃し発砲後は迅速に陣地転換を行うのが理想的であったが、圧倒的な兵力差を前にしてドイツにそのような余裕はなかった。多くの対戦車砲はただ敵の進撃を遅らせるため、最初の交戦で敵と差し違えたのである。
 それは、祖国のため捨て石となることを覚悟した勇者たちの兵器であった。


キット:タミヤ
スケール:1/35
制作者:不肖、私
制作時期:2003年10月〜2004年7月

 戦車のあいまに作っていた大砲です。ZIS-3、PAK35/36とともに塗装修行のために制作しました。
 工作はほとんど素組、塗装はZIS-3などと同じくウォッシングを廃して油彩などでウェザリングを施しました。

 3つの対戦車砲を作ることで、この兵器について思いを巡らす機会を得ました。
 対戦車砲は、華々しい進撃の主人公である戦車に比べて、何とも地味で苦労の多い兵器です。敵戦車に恐れられ、味方歩兵に頼りにされつつも、英雄を生むことはない。対戦車砲の英雄談といえば、ハルファヤ峠の8.8cm砲ぐらいのものではないでしょうか。

 対戦車砲について調べるうちに、日本軍の対戦車砲について興味深い事実をひとつ発見しました。
 戦争後期の日本軍の対戦車砲は一式機動47mm砲で、世界水準からすればかなり見劣りのする兵器でした。実際孤島の防衛戦でもさしたる活躍は伝えられていません。
 しかしながら、米軍は沖縄戦後、本土上陸に備え大量のM26戦車を極東に配備することを決定しています。その背景には、沖縄戦での日本軍対戦車砲による被害が予想外に大きかったという事実があったそうです。一式機動47mm砲でM4戦車を撃破するには、100m以内の至近距離から側後面を射撃する必要があったはずなのですが、日本軍対戦車砲兵は忠実にこれを実行したと思われます。
 対戦車砲の操砲に従事した世界中の兵士たちの中でも、日本軍の兵士たちはもっとも厳しい条件下で任務を遂行せねばなりませんでした。上記は、彼らの活動が(少なくとも純軍事的には)無意味でなかったことの数少ない証拠といえると思います。


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