
97式中戦車は95式軽戦車と並び太平洋戦争時の帝国陸軍の主力戦車である。相対した連合軍戦車に著しく劣ったスペックのため、苦しい戦いを強いられたことはよく知られている。
しかし、生産が開始された1938年には、97式は諸外国の戦車にさほど劣っていたわけではなかった。97式は15トンクラスの近代的な単一砲塔戦車である。車体には余裕があり、開発が時機を逸しさえしなければ数年先まで一流の性能を維持する可能性を秘めていた。
97式の問題点は、車輌自身の資質よりもむしろその性能を決定した計画にあった。具体的には、備砲を対戦車能力を欠いた短砲身57mm砲としたことと脆弱な25mmの装甲厚であるが、ここでは主に装甲の問題について述べる。
1936年7月22日、軍の要職者たちの列席の下、第14回軍需審議会なるものが開かれた。その議題のひとつに「陸軍技術本部の兵器研究方針に新様式の中戦車研究方針追加の件」があった。要するに、後に97式中戦車となるAFVの仕様の決定がテーマである。
席上、教育総監部第1課長と戦車学校教官は対戦車火器の進歩を想定した装甲の増厚を主張するが、結局装甲厚は25mmに決定される。新しい浸炭鋼板を用いれば、従来鋼板の30mmより新鋼板の25mmの方が優秀という理由からである。97式の装甲は「37mm砲に対して近距離で抗堪する」ことを目標としており、25mm浸炭鋼板はこの要件を満たすとされた。
ところがこの決定にはいくつかの問題があった。
防御の対象として想定された37mm砲は94式歩兵砲(対戦車砲)であり、これは列強の保有する37mmクラス対戦車砲の中でもっとも古く、低威力であった。他国では37mmクラスでも新しい強力なものが配備されつつあった。具体的には、94式歩兵砲の初速648m/sに対して、ドイツラインメタル社製37mm砲は699m/s、米国制式の37mm砲は800m/sであった。
後の1939年、陸軍技術本部は97式戦車に対し、94式歩兵砲とラインメタル砲による実射試験を行っている。結果は94式歩兵砲には150mで抗堪したが、ラインメタル砲には300mでも貫通されてしまった。
さらに、そもそも25mm浸炭鋼板の抗堪力そのものにきちんとした裏付けがあったのかどうか疑わしい。
いざ97式の生産が始まると、製鉄各社は鋼板の製造に四苦八苦した。存速610m/sの37mm砲弾に抗堪するというテストに、製造された鋼板が合格しないのだ。1938年前半の合格率は32パーセントであったというから、惨憺たるものである。
原因を追究した日本製鋼所は、貫通・抗堪の可否が鋼板ではなく、砲弾の弾頭強度のバラつきによることを発見する。これは25mm浸炭鋼板が37mm砲に堪えるといっても、実際には貫通・抗堪のぎりぎり境い目の性能しかもっていないことを意味する。
要するに、誰かがつじつま合わせの「お役所仕事」をやったのである。薄い装甲で可とする主張の根拠として新鋼板のあいまいな「高性能」を掲げ、その反証は黙殺したのだ。
ともあれ、25mmの厚みでも1938年の戦車としては世界水準ではあった。当時は戦車に必要な装甲を各国とも薄く見積もっていた。
戦争が始まると、戦車はたちまち重装甲化の競争に入る。しかし、工業力と資源に乏しい日本は航空優先の軍需政策を採らざるを得ず、戦車の改良は常に後手に回わってしまうのである。
97式自体は後の改良の事実からわかるように、50mmの最大装甲厚を持たせてもエンジンの換装によって十分な実用性を維持できた。(この性能の1式は実質的には97式の改良型である)小型の対戦車砲弾に抗堪するという設計コンセプトをきちんと追求していれば、50mmの装甲は当初から実現できたスペックだったと言える。
97式の開発の中心にあった原乙未生中佐は短砲身57mm砲の採用に不満で、長砲身57mm砲か75mm野砲の搭載を希望していたという。50mmの主装甲と75mm野砲の搭載が当初から実現していれば、日本は30年代に世界最強の主力戦闘戦車を持つことになっていただろう。しかし、実際には97式はアメリカのM4中戦車に悪戦苦闘することになる。
ちなみに、M4の2インチ(51mm)の前面装甲は小口径の対戦車砲弾に抗堪することを想定していた。97式とほぼ同じ想定の設計コンセプトであった。
【参考文献】
・加登川幸太郎『帝国陸軍機甲部隊』白金書房1974年
・『帝国陸海軍の戦闘用車輌』(戦車マガジン1992年4月号別冊)デルタ出版1992年
・国本康文「日本戦車の防弾鋼板」(歴史群像太平洋戦争シリーズ34『戦車と砲戦車』所収)学習研究社2002年
| キット: | タミヤ |
| スケール: | 1/35 |
| 制作者: | 不肖、私 |
| 制作時期: | 2002年4月〜9月 |
タミヤの97式は1/35キットとしては唯一にして、傑作の誉れ高い名キットです。今日の水準で見ても見劣りしない内容の上、古い製品ですから新作キットの半額と、とてもお得。ベテランから初心者までお勧めの傑作キットです。
カステンの履帯、クリッパーのホワイトメタル製防盾とキューポラを使用した他は、ほぼ素組です。カスタムパーツ以外で手を加えたのはライトくらいです。(アルミ箔を貼って、エポキシ系接着剤を流し込んであります)
モデルカステン製連結可動履帯はセンターガイドが別部品で、組立にはかなり手間がかかりますが、自然に弛んだ履帯はとくに日本戦車に似合うので効果は絶大です。97式の場合、起動輪より最初の上部補助輪の位置がわずかに低いので、ナイロンのベルト式履帯をそのまま使うと補助輪から浮いてしまいます。キットの履帯を使う場合も真鍮線などで履帯の位置をアジャストした方がいいと思います。
塗装は次の手順で行いました。
・サーフェイサーをスプレー
・マホガニーで下塗り
・鉛筆で迷彩の下書き
・迷彩の境目を筆塗り
・慎重に迷彩色をエアブラシ
迷彩色はMr.カラーの草色、レッドブラウン、RLMサンドイエローです。
薄茶の部分は最初ブラウンFS30219、つまりベトナム戦時の米軍機色を使ったのですが、気に入らず、RLMサンドイエローで塗り直しました。ご存知の通り、日本戦車の迷彩色は一通り出ているのですが、雰囲気優先で上の組み合わせをチョイスしました。
・水性アクリルのホワイトで黄帯の下地を筆塗りし、乾燥後水性アクリルのイエローで黄帯を描く
これは鮮やかな発色を得るためです。私の考え出した塗装法ではなく、AM誌に載っていた技法です。車体後部の信号灯もこの技法で塗りました。
・ペトロールで溶いた油彩のローアンバー+エナメルのブラックでウォッシング
・マホガニーで影や隅の部分に淡くエアブラシ
迷彩の場合、下地を塗り残す方法で影を表現するのが難しいので、こうしました。
・エナメルのバフ、バフ+フィールドグレー、バフ+レッドブラウンで迷彩各色の部分をドライブラシ
・足まわりに淡く焦げ茶色を吹いてから、同系のパステルでウェザリング
・履帯はレッドブラウン+ブラックの混色で塗装し、足まわりと同色のパステルをくぼみ部分に塗布した後、内側と外側のエッジ部分をクロームシルバーでドライブラシ
・アンテナ部分はブラウンを塗った後、クロームシルバー+レッドでドライブラシ
アンテナ部分をカッパーで塗装するのはリアリティの点でどうかと思いました。本当はエナメルのカッパーでドライブラシするつもりでしたが、塗料が古かったのか手持ちのカッパーは粒子が荒く、使えませんでした。
マーキングはマレー戦時の戦車第1連隊第4中隊のものです。兵器として栄光少なく労苦の多かった97式のもっとも輝いていた時期ですね。
砲塔の中隊マーク「乃」と車体後部のナンバーはデカール、車体側面の第3小隊2号車を表す「32」はエナメル塗料による手書きです。
日本戦車は出戻り第1作の95式以来です。95式よりは日本戦車らしく塗装できたと思います。
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