
全長9m91cm、重量28t、最大速度5.95km/h、航続距離38.6km。
これはこの本稿のモチーフであるクルセーダー戦車のスペックではなく、第1次大戦に登場した世界最初の戦車、Mk.I戦車のスペックである。
第1次大戦は地表に黄泉への裂け目が開いたような戦争であった。機関銃と野砲の鋼鉄の業火が互いの攻撃を阻止し続け、膨大な犠牲を交戦国に強いた。戦術的には防御砲火全盛の時代と言える。
人の歩行ほどの速度しか出せないこの戦車は、防御側の機関銃巣を攻撃、破壊する移動トーチカとして設計された。戦車は歩兵の障害となる敵特火点を破壊しながら攻撃部隊主力の歩兵とともに前進するのである。
戦車の新たな可能性は、この初期の戦車隊の指揮官たちによって開かれた。
もし、戦車に数倍の速度と航続距離を与えることができたら、戦車隊は戦線の突破後、敵後方の砲兵陣地、司令部を粉砕し、戦争そのものさえ終わらせ得るかも知れない。
マーテル、ホバート、フラー、リデルハートといったイギリスの若い軍人たちは戦争末期から大戦間にかけて、この仮説を熱心に説いて回った。彼らの努力は小さな実りとして、1927年、イギリスに世界最初の本格的機甲実験部隊を生む。
これに刺激されたアメリカ政府が、一人の天才技術者を歴史の表舞台に引きずり出す。J.ウォルター・クリスティー(1865-1944)である。
もともと自動車技術者であり、第1次大戦中に半装軌車を設計したクリスティーは大戦間期のアメリカでほとんど唯一の戦車設計者であった。
アメリカ政府の要請を受けて、彼は航空エンジン(リバティーエンジン)を搭載した70km/hもの最高速度を有する試作戦車(M1928)を開発する。それは独立懸架の大型転輪を有し、軽装甲ながら良好な被弾径始を施した前面装甲を持つ無砲塔型戦車であった。結果としてこの戦車はアメリカよりソビエト政府の目を引き、ロシアはクリスティー戦車を購入して、これをもとにBT高速戦車シリーズを開発する。ロシアはマーテルの著書「タンク・アーミー」から強い影響を受け、優秀な機動戦車を探し求めていたのだ。
1936年9月、物語は一巡する。
ロシアを訪問したウェーベル(彼は後に北アフリカの戦いで有名になる)の報告を受けたギフォード・Q.マーテルはBT戦車に強い印象を受け、クリスティー戦車の導入を決定する。ロシアの戦車戦術思想もクリスティー戦車もマーテルらの強い影響のもとにあったことを思うと、歴史の皮肉としかいいようがない。
こうして、高速、軽装甲、軽武装をコンセプトとする一連のイギリス巡航戦車cruiser tankが誕生したのであった。しかし、天才たちの輪舞はここまでであった。
イギリスの戦車開発の中心にあったパーシー・ホバートにとって、巡航戦車は近代化された軽騎兵であった。巡航戦車は高速で敵をヒットエンドラン攻撃する兵器で、飽くまで軽装甲、軽武装とされ、危険な敵の対戦車砲は迂回して後続する歩兵にこれを任せるという構想であった。この多分に理想主義的な兵器コンセプトはやがて戦場の厳しい試練にさらされる。
イギリスのクリスティー系戦車は速力こそすぐれていたが、装甲、火力はドイツ戦車に劣り、対戦車砲に対しては榴弾を撃てない主砲のため成す術を知らなかった。ホバートの思惑とは異なり、対戦車砲兵は小ぶりなシルエットを生かして自らを隠蔽し、戦車を致命的な距離まで引き寄せてから狙い撃った。
マーテル、ホバート、クリスティーといった人々は独創的才能に恵まれた人々であり、みな自分なりの理想の戦車を思い描いていた。しかし、いかなる理想も現実とせめぎ合い、自らを鍛え直すことなしに目的を達成することはあり得ない。
もうひとつのクリスティー戦車採用国であったロシアは冬戦争とスペイン内戦の戦訓から、戦車には75mmクラスの強力な火砲と小口径対戦車砲に耐える重装甲が必須であることを認識し、歴史的傑作・T-34戦車を生む。
一方、機動力、装甲、火力、組織的行動能力をバランス良く追求した装甲部隊を育てたドイツは装甲部隊による機動攻撃を現実のものとし、戦争というゲームのルールを一変させてしまう。ドイツ装甲部隊の生みの親であるハインツ・グデーリアンもまた、マーテルやフラーの著書に学んだ彼らの弟子のひとりだった。ロシアとドイツは、立ち後れた戦車発祥の国を尻目に高度な機動戦による血戦を戦うのである。
巡航戦車Mk.VIクルセーダーは、Mk.IIIに始まるイギリスのクリスティー戦車系列の4番目の戦車で、北アフリカ戦の主力であった。薄い装甲、信頼性を欠くリバティーエンジン、役立たずで前線ではさっさと取り外された前部銃塔など、この戦車をめぐるエピソードには、およそろくなものがない。兵士たちもこの戦車を嫌い、アメリカ製のシャーマン戦車が配備されるのを心待ちにした。
しかし、兵士たちに兵器を選ぶ権利はない。クルセーダーは1941年6月の戦線投入から北アフリカ戦の終了まで、2年余にわたってイギリス機甲師団の主力戦車として使用された。戦場に投入された時、すでにクルセーダーの装甲と火力はドイツ軍主力のIII号戦車に劣っていた。戦車戦に関するかぎり、イギリスの北アフリカ戦の勝利は血まみれの勝利だったのである。
| キット: | イタレリ |
| スケール: | 1/35 |
| 制作者: | 不肖、私 |
| 制作時期: | 2003年7月〜2004年2月 |
イタレリのキットの他、アフターパーツとして、エデュアルドのエッチングパーツ2種(細かい部品とサンドシールド)、クリッパーの砲身とフリウルモデリスモのホワイトメタル製連結可動式履帯を使用しました。
もともとクルセーダーMk.IからMk.IIへの改良は外見上の変化がほとんどなく、実車も判別は困難です。キットも考証上の迷路に陥っており、Mk.IIと称しつつ、砲塔前部の視察孔の形状などを見ますと、むしろMk.I後期といっていい感じです。
ここを修正してMk.IIとするのは容易です。しかし、史実として現地で取り外された銃塔が模型的にはとても魅力的で、これを乗せて作るとすると、Mk.Iとして制作した方が破綻の少ないものになります。実は銃塔を取り去った後に付けられたハッチを自作したのですが、結局銃塔の魅力に負けてMk.Iとして作ることにしました。
工作で一番の難関は、砲防盾です。キットの防盾は実物に全然似ていません。実車の写真を参考に、エポパテを盛りリューターで削るなどして形を整えました。ちなみに、砲まわりは問題が多く、2ポンド砲の砲身もあきらかに太すぎで、3.5ポンド砲(笑)くらいの感じです。これは市販の金属挽物製砲身に換えることで簡単に解決しますが。
他に、以下のようなディティーアップを施しました。
・後部の予備燃料タンクの蓋はキットでは中央にあり、燃料管を蓋に繋げるようになっています。これは誤りですので、蓋を削り取って外側に移動、燃料管は内側に穴を開けて接続、管自体もエナメル線に交換しました。
・アンテナは真鍮線。短い方の根本には豆電球のコードをほぐした銅線を巻きました。ペナントは木工用ボンドで固めたティッシュより作成。
・各部の手すりを真鍮線で自作。
・キットのライトは左右同型で、またまたウソンコです。キットの部品は右側のライトに近い形状ですが、傘の長さが不足しているようなのでこれを延長。左側のライトは下半分にスダレ状のスリットが入った形ですので、ジャンクのエッチングパーツ(ドイツ戦車のホーン前面を半分に切ったもの)を使ってそれらしく作りました。ライトガードも0.5mmの真鍮線で作ったものに交換しました。
・側面のレールはエッチングパーツですが、板を曲げたフックが省略されているので、これを追加してあります。支持架は3本になっていましたが、実物は5本のものが多く見られるので、修正しました。
・砲塔ハッチには溶接痕がないので、伸ばしランナーで再現しました。
・砲塔側面のライトは、リューターで削り込み、内側にアルミ箔を貼り、ウェーブのライトレンズを接着しました。その後気づいたのですが、このライトの実物はレンズがフラットになっています。リサーチ不足でした(泣)
・側面の収納箱ほか様々な箇所にリベットを多数追加しました。もーリベットを打つ夢を見るくらい(笑)
このキット、そもそもサンドシールドのパーツが付属していないことが大いに疑問です。イタレリのMk.IIは70年代の傑作Mk.IIIのキットの部品を差し替えたものなのですが、このMk.IIIのキットにはサンドシールドがあるのです。なんでこんなことするのか……。おかげで大枚はたいて、エデュアルドのサンドシールドを購入することになりました。とほほ。(って、自作しろよ)
基本塗装はミリタリーモデリングマニュアルVol.15の作例を参考にMr.カラーの#313イエローFS33531と#17RLM71ダークグリーンで行いました。
今回の課題は、「一歩上の塗装」です。
ウォッシングは行わず、油彩を使ったフィルタリングもどきで色味に深みとメリハリをつけ、その後、油彩のローアンバーでスミ入れします。スミ入れは、塗料を薄く溶いて塗り綿棒で不要部分をふき取る方法、細筆で塗ってベトロールを含ませた筆(ドライブラシ並に絞ります)でのばす方法、絞った筆を何度も走らせるドライブラシ風方法でなどで行います。
チップ(塗料の剥がれの再現)は考え方を変え、傷のような細く短いものと、大ぶりでよく目立つものの2種類を意識的に描き分けました。実際のチップ再現より模型的な見栄えを追求したつもりです。加えて、浮き出た錆として、ローアンバーとバーントシェンナの混色を塗り、乾いた筆でのばして表現しました。
砂漠戦車両ですので、足回りと履帯のウェザリングはパステルを粉のままこすりつけました。
展示台も細工してみました。といっても、ウェーブのケースの上面を加工しただけですが(笑)
使ったのは、近所のお店で買った教材用紙粘土、公園で拾った砂と石。
まず、紙粘土を適当に盛って、石を乗せ、乾いたところで一度サフを吹き、気に入らないところをラッカーパテで修正します。水溶性の木工用ボンドを適当に水で溶き筆塗りして、砂を茶こしでこしながら降りかけます。完全に乾燥したらもう一度サフを吹き、ラッカーのマホガニーで下地塗装、その後セールカラーを淡く吹いて、最後に数色のパステルで仕上げました。
実のところ、仕上がりはあまり気に入っていません。砂漠風に仕上げるつもりでしたが、今一ですね。
マーキングはキットのデカールで、第1機甲師団所属車ということになります。本来は「セイント号」という固有の車両のものですし、実写写真で見る限り、フェンダー上にマーキングしたしたクルセーダーはほとんど見られません。まあ、見栄え優先ということで(^_^)V
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