(13) 軽駆逐戦車ヘッツァー-ドイツ最後の盾

2004年8月5日

 1943年、連合国空軍の爆撃はすでにドイツの軍需産業に少なからぬ損害を与え始めていたが、この年の11月26日のベルリン爆撃はドイツ地上軍の特定の兵器の生産に大きな打撃を与えた点で特筆されるものだった。
 この日、アルケット社のIII号突撃砲工場が破壊され、この重要な兵器の生産が事実上ストップしたことは、ドイツに新たに2種類の新兵器の誕生を促すことになった。ひとつはIV号突撃砲であり、もうひとつが38式駆逐戦車“ヘッツァーHetzer”である。IV号突撃砲の生産数は632輌にとどまったが、ヘッツァーの生産数は2827輌におよび、ヘッツァーは大戦末期のドイツ軍AFVの主力の一翼を担う兵器となった。

 ヘッツァーの母体はチェコスロバキアの傑作軽戦車LTvz.38である。
 LTvz.38はチェコを手に入れたドイツによって38(t)軽戦車と命名され、初期のドイツ装甲部隊の主力戦車のひとつとなった車輌である。ヘッツァーは、パワーパック、サスペンションなど、38(t)のコンポーネントを利用し、新たに設計された車体に組み込む形で計画された。

 元来、ヘッツァーのような無砲塔型の装甲車輌は、旧式化した戦車の車台を利用するケースがほとんどである。砲塔がないことは砲塔リングのサイズによる搭載兵器の制約を緩和し、同時に節約された重量を装甲の強化に振り向けることを可能にする。それは、旧式の小型車輌に第一線級のスペックを与えられる「魔法」であった。ヘッツァーの設計はこのような構想の限界に迫るもので、わずか15.75tの軽車輌でありながら24tのIII号突撃砲と同じ火力を有し、鋭く傾斜した60mmの前面装甲はIII号突撃砲を上回る防御力を持っていた。

 しかし、実際にはヘッツァーはコンパクトな車体にこの性能を詰め込んだ無理が祟って、スペック表には現れない問題を多々かかえていた。
 75mm/L48砲は車体の右側に押し込められ、砲耳は前面装甲板から前方に突き出たドーム状構造物に設置されていた。クルーは砲をL字型に取り囲むように配置され、操縦手、砲手、装填手は前から一直線に並んでいた。砲の真後ろの車長は、装填手を補助し、かつ射撃時には砲の後座の危険界を避けてエンジン上部に身を寄せる必要があった。視察装置は、操縦手用の他、左と後にペリスコープがあるだけで、ハッチをすべて閉じてしまえば、右方向の視野はゼロである。車長は唯一の全周視察装置である砲隊鏡(ハッチから出して使用する)を覗くか、ハッチから頭を出すしか周囲の状況を把握する手段はなかった。狭い車体は当然クルーの活動を妨げ、被害の発生時、互いを援助したり脱出するのも難しかった。主砲の発射速度などは、III号突撃砲の半分程度だったのではあるまいか。

 元来、ドイツは装甲戦闘車両の設計に当たって、クルーの効率のよい配置と活動空間の確保を上位の優先事項としてきた国である。ヘッツァーにおいて、この優先事項がみごとなまでに打ち捨てられたのは、敗色濃い戦況にあってとにかく戦力となるAFVの必要に迫られたからに他ならない。それは急ごしらえの最後の盾ともいうべき、ドイツ帝国最後の大量生産AFVであった。

 戦争が終わると、AFVの生産に当たっていたドイツの工場の槌音は一斉に止んだ。そのなかで、ヘッツァーのみは生産を再開する。ヘッツァーの生産設備がチェコにあった所以である。
 新生チェコスロバキア陸軍の装備としてST-Iと名付けられたヘッツァーは、その軽車輌ゆえのコストパフォーマンスに注目したスイス陸軍向けにもG-13の名でも生産された。
 スイス向けの最後の生産車がロールアウトしたのは、1950年2月16日のことである。旧ドイツ軍AFVで戦後も生産が続けられたのはヘッツァーのみであった。


キット:ドラゴン
スケール:1/35
制作者:不肖、私
制作時期:2003年10月〜2004年6月
 数年前から、時おり妙な病気に悩まされてきました。発熱、悪寒、発疹、手足のむくみがおもな症状です。医師によれば、ウイルス性疾患かアレルギーの可能性大だが、ウイルス性疾患ではこのように繰り返し再発することはないため、何かのアレルギーの可能性が高いとのこと。
 で、気がついたのですが、どうも発症の時期が模型の完成前後と重なっているような気がします。というわけで、塗装の最後の方に行うドライブラシに使うタミヤエナメルがあやしいとにらみ、しばらく使用を中止することにしました。
 タミヤエナメルはあくまで「容疑者」であり、仮に今後症状が出なくても消極的な証明にしかなりませんが、とにかく健康第一ですので。
 タミヤエナメルは小物の塗装とドライブラシに使用してきました。代替塗料が必要です。本作に関してはホルバインの油絵の具とターナーのアクリルガッシュを用いましたが、将来的にはハンブロールの利用も考えています。また、試行錯誤だな〜。

 さて、ヘッツァーですが、1/35だけでも、イタレリ、ドラゴン、エデュアルド(2004年6月現在予定)とキットが出ており、メジャーアイテムといってよいのでしょう。雑誌などの写真でも見慣れた外観なのですが、いざキットを手にとってみると、けっこうへんてこな形の車輌です。真横から見ると車体上部は前後対照の富士山型だし、後部はハッチだらけ。全面装甲といっても、限りなく自走砲に近い感じです。車体側面下部まで傾斜装甲になっていることは、今度の制作で初めて知りました。

 キットはドラゴンの中期型です。他にカステンの履帯とエデュアルドのエッチングパーツ、ファインモールドの砲身を使いました。自分でいじった部分は下記の通りです。

・前部装甲板と側面上部装甲板にシンナーを使って、鋼鈑の表面の「荒れ」を表現。
・排気管カバーは排気管側が塞がっているので、ここを開口。これにともない排気管はプラ棒で作り替え。キットで省略されている板状の排気管の支持金具もジャンクのエッチングパーツから自作しました。
・予備履帯装着具など数カ所にカステン製の蝶ねじを追加。
・ハッチの取っ手は真鍮線で作り替えました。
・ライトとジャッキはタミヤ製に交換。ライトにはコード(豆電球のコードをバラした銅線)を追加。コードの付け根はカステン製のボルトで表現。
・防盾部分にラッカーパテで鋳造の地肌を強調。
・各所の溶接痕をエポパテで表現。
・エッチングパーツのシェルツェンにカステン製のボルト、ビーディングツールで作ったリベットを追加。

 塗装は1944年秋の塗料不足時のレッドプライマーベース塗装としました。
 まずは、鋼鈑の「荒れ」の表現を消さないため、サフ吹きは車体後部にとどめ、代わりに金属パーツにはシンナーで溶いた金属プライマーをエアブラシで吹きつけます。その後工作を確認しやすくするため、日本軍艦色を全体に塗装。さらに下地としてジャーマングレイを吹きます。

 艦底色とレッドを混色したレッドプライマー色を最初に塗装し、資料を参考にパターンを筆で描き、パターンの内側を慎重にエアブラシで埋めていきます。グリーンには、日本戦車用の草色を使い、イエローはダークイエローをそのまま使っています。これら基本塗装はラッカー系塗料で行います。
 ウォッシングは行わず、フィルタリングもどきで色味をつけ、油彩のローアンバーでスミ入れします。その後油彩でチップと浮いた錆を控えめに描きこみ、足回りはパステルで乾きかけた土を表現しました。
 今回、足回りのパステルワークはただ塗るのでなく、アクリル水性用シンナーをつけた筆でテクスチャーを付けるなど、ちょっと工夫してみました。足回りのウェザリングにはまだまだ研究が必要です。

 展示台はまたまたウェーブのケースの上面を加工したものです。
 1.2mmのプラ板にPカッターで筋を入れ、サフ吹き後ラッカーのマホガニーを吹き、数色の油彩でフィルタリング、さらに油彩のイェローオーカーで木らしい色の変化を描きこみ、薄く溶いたローアンバーでトーンを落としました。最後に、ローアンバーでスミ入れして完成です。


COPY RIGHT:六高寺 弦 ROKKOJI Gen
E-MAIL ADRRESS:rkj@ezoya.co.jp

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