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1943年、連合国空軍の爆撃はすでにドイツの軍需産業に少なからぬ損害を与え始めていたが、この年の11月26日のベルリン爆撃はドイツ地上軍の特定の兵器の生産に大きな打撃を与えた点で特筆されるものだった。 この日、アルケット社のIII号突撃砲工場が破壊され、この重要な兵器の生産が事実上ストップしたことは、ドイツに新たに2種類の新兵器の誕生を促すことになった。ひとつはIV号突撃砲であり、もうひとつが38式駆逐戦車“ヘッツァーHetzer”である。IV号突撃砲の生産数は632輌にとどまったが、ヘッツァーの生産数は2827輌におよび、ヘッツァーは大戦末期のドイツ軍AFVの主力の一翼を担う兵器となった。
ヘッツァーの母体はチェコスロバキアの傑作軽戦車LTvz.38である。 元来、ヘッツァーのような無砲塔型の装甲車輌は、旧式化した戦車の車台を利用するケースがほとんどである。砲塔がないことは砲塔リングのサイズによる搭載兵器の制約を緩和し、同時に節約された重量を装甲の強化に振り向けることを可能にする。それは、旧式の小型車輌に第一線級のスペックを与えられる「魔法」であった。ヘッツァーの設計はこのような構想の限界に迫るもので、わずか15.75tの軽車輌でありながら24tのIII号突撃砲と同じ火力を有し、鋭く傾斜した60mmの前面装甲はIII号突撃砲を上回る防御力を持っていた。
しかし、実際にはヘッツァーはコンパクトな車体にこの性能を詰め込んだ無理が祟って、スペック表には現れない問題を多々かかえていた。 元来、ドイツは装甲戦闘車両の設計に当たって、クルーの効率のよい配置と活動空間の確保を上位の優先事項としてきた国である。ヘッツァーにおいて、この優先事項がみごとなまでに打ち捨てられたのは、敗色濃い戦況にあってとにかく戦力となるAFVの必要に迫られたからに他ならない。それは急ごしらえの最後の盾ともいうべき、ドイツ帝国最後の大量生産AFVであった。
戦争が終わると、AFVの生産に当たっていたドイツの工場の槌音は一斉に止んだ。そのなかで、ヘッツァーのみは生産を再開する。ヘッツァーの生産設備がチェコにあった所以である。
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数年前から、時おり妙な病気に悩まされてきました。発熱、悪寒、発疹、手足のむくみがおもな症状です。医師によれば、ウイルス性疾患かアレルギーの可能性大だが、ウイルス性疾患ではこのように繰り返し再発することはないため、何かのアレルギーの可能性が高いとのこと。 で、気がついたのですが、どうも発症の時期が模型の完成前後と重なっているような気がします。というわけで、塗装の最後の方に行うドライブラシに使うタミヤエナメルがあやしいとにらみ、しばらく使用を中止することにしました。 タミヤエナメルはあくまで「容疑者」であり、仮に今後症状が出なくても消極的な証明にしかなりませんが、とにかく健康第一ですので。 タミヤエナメルは小物の塗装とドライブラシに使用してきました。代替塗料が必要です。本作に関してはホルバインの油絵の具とターナーのアクリルガッシュを用いましたが、将来的にはハンブロールの利用も考えています。また、試行錯誤だな〜。 さて、ヘッツァーですが、1/35だけでも、イタレリ、ドラゴン、エデュアルド(2004年6月現在予定)とキットが出ており、メジャーアイテムといってよいのでしょう。雑誌などの写真でも見慣れた外観なのですが、いざキットを手にとってみると、けっこうへんてこな形の車輌です。真横から見ると車体上部は前後対照の富士山型だし、後部はハッチだらけ。全面装甲といっても、限りなく自走砲に近い感じです。車体側面下部まで傾斜装甲になっていることは、今度の制作で初めて知りました。 キットはドラゴンの中期型です。他にカステンの履帯とエデュアルドのエッチングパーツ、ファインモールドの砲身を使いました。自分でいじった部分は下記の通りです。
・前部装甲板と側面上部装甲板にシンナーを使って、鋼鈑の表面の「荒れ」を表現。
塗装は1944年秋の塗料不足時のレッドプライマーベース塗装としました。
艦底色とレッドを混色したレッドプライマー色を最初に塗装し、資料を参考にパターンを筆で描き、パターンの内側を慎重にエアブラシで埋めていきます。グリーンには、日本戦車用の草色を使い、イエローはダークイエローをそのまま使っています。これら基本塗装はラッカー系塗料で行います。
展示台はまたまたウェーブのケースの上面を加工したものです。 |