1937年5月、スペイン内戦に派遣されていたイタリア義勇軍の戦車隊はガダラヤラ周辺で人民戦線軍のT-26戦車と遭遇し、圧倒される。 イタリア軍の装備車輌は機銃2挺のみのCV33/35。対するロシア製のT-26は45mm対戦車砲を搭載していたのだから、まったく当然の敗退であった。この他スペイン内戦の経験を通じて、イタリアは武装の貧弱なCV33/35シリーズは役に立たず、試験的に配備されていた37mm砲装備の試作8トン軽戦車の有用性を知ることとなった。 戦車には戦車砲が必要であることを悟ったイタリアは、まず8トン軽戦車を改良、M11/39として採用し、ついで次世代戦車M13/40の開発に入る。M11が車体のスポンソンに固定式に37mm砲を装備したのに対し、M13は回転砲塔に47mm砲を搭載する近代的デザインであった。開発時間の短縮のため、M13の車体はM11のものを延長、大型化して用いていた。この戦車は驚くべき速さで開発され、1940年末には戦場に投入されている。
ドイツ軍に較べイタリア軍が弱体だったためか、一般にM13/40は見劣りする兵器だと思われているが、実のところそう悪い兵器ではない。多くの書籍で不十分とされている装甲も、出現当時は主敵であったイギリス巡航戦車に勝っており、その32口径47mm砲は2ポンド砲を上回るパフォーマンスを持っていた。英軍戦車隊は危険な主砲を持つこの戦車に一目置かざるを得なかったのである。
イタリアの機敏さは、同じく性能の劣る戦車しか持たなかった日本と対照的である。 平時であれば、所期整った兵器を開発、配備するのも良かろう。しかし、戦時には最低限必要なスペックだけに開発の要点を絞り込む思い切りも、時には必要になる。イタリアは積極的にこれをよく実行し、日本は消極的であった。
兵器開発の良し悪しは、端的にはその国の工業力によって定まる。だが、その条件の中で開発の資源をコーディネートし、良質の兵器に結実させる人間を欠いては決して良い結果は得られない。要するに当時の日本は、戦車に関する限り、「人」を欠いていたのである。
M13/40は是非作ってみたかった車輌です。なんといっても、ちっとも強そうに見えないのがいい。
キットは現在生産休止。オークションで購入して制作しました。 カスタム履帯を使った人はハーフフェンダータイプで作る。 という法則です。だって、苦労して組んだ履帯ですもん。見えやすくしたいですよね。私もモデルカステンの履帯を使いましたので、ハーフフェンダータイプにしました。
もっとも、タミヤのキットは基本的にフルフェンダータイプの製品で、ハーフフェンダータイプにするための仕組みといったら、フェンダーの裏側の切り取り位置を示す溝くらいのものです。足掛け部分のフェンダーは自作する必要があるし、側面の分割線が丸見えになるので、ここも修正する必要が出てきます。これは結構な手間でした。フェンダー自体も縁の形に問題があり、手を加えてあります。 塗装には、サンディーブラウンを使ってみました。パンツァーグラウでごく控えめにチップを入れてあります。マーキングはキット付属のデカールで、アリエテ師団所属車両のものです。 |