帝国陸軍95式軽戦車(ハ号)。重量7.4t。小さな戦車である。
戦前、こういう小型戦車(tankette)が流行した時期があった。小さな戦車はコストもかからず、多数を所有できるメリットがある。
95式は89式に次ぐ、実質的に二番目の国産戦車だった。機動性は89式を上回り、機械的信頼性も高かった。生産初年度は1936年。同時期の他国の小型戦車と比較すると、37mm砲の装備が際立つ。他国の小型戦車は機関銃、良くても20mm程度の機関砲装備にとどまるものが多かった。日中戦争では大いに活躍もした。
転機は1939年の夏に訪れた。ノモンハン事件で遭遇したソビエト軍戦車と対戦車砲の前に、95式は脆弱な装甲の弱点をさらけ出して次々と撃破された。一方、小さな砲塔に搭載するために砲身と薬室を切り詰めた95式の37mm砲はソビエト戦車に対しほとんど無効だった。
実は95式の装甲の薄さは、仕様の決定段階から用兵サイドの批判を浴びていた。用兵側は決定された仕様の2倍以上の厚さを要求していたのだ。そのための重量増のデメリットからこの意見は受け入れられなかったが、その背景には日本という国の置かれた地勢と兵器の戦略機動性の問題があった。日本と想定された海外の戦場とを戦車が行き来するには、なるべく軽い戦車が望ましかったのである。7.4tなら、各港湾の既存のデリックで対応できた。
95式とこの戦車を与えられた兵士たちの未来に何が待ち受けているかは、ノモンハンの時点で明らかだった。戦略機動性は、既存の輸送インフラを前提とすることをやめ、より重量のある兵器とその周辺システムとして統合的に追及されるべきだったのである。
にもかかわらず、95式の生産はそのまま1943年まで継続され、太平洋の島々に悲劇の歴史を刻むことになる。戦時下の激しい火力と装甲の競争に日本はまったく取り残されていた。
あの戦争で、敵の同種の兵器に対してこれほどまでに劣った兵器で戦うことになった例も稀であろう。7.4t、最大装甲厚12mmの95式に対し、アメリカ軍のM4“シャーマン”戦車は35t、51mmである。多くの95式は、その不利を悟った兵士たちによって車体を土中に埋められ、砲塔だけを地上に出して敵を迎え撃った。
今、95式の多くは太平洋戦争の古戦場で赤錆びた姿のまま永遠の眠りに就いている。その覘視孔から失われた未来を見つめていた若い兵士たちの魂とともに。
| キット: | ファインモールド製 |
| スケール: | 1/35 |
| 制作者: | 不肖、私 |
| 制作時期: | 1993-2001年10月(なんと足かけ9年) |
もはや「編集後記」としての体裁を完全に失ったこのページですが、しばしお付き合いのほどをm(_ _)m
さて、8年ぶりの模型制作であります。
ファインモールドの95式は、8年前に組みかけたまま制作を中断し、そのまま押し入れにしまいこまれていたキットでした。小さな95式はリハビリには少々キツかったです。連結式履帯の組み立ても初めてでしたし。
アーマーモデリングの記事を参考に3色迷彩を施しました。エアブラシの使い方がヘタで、当時の日本戦車の境界線のはっきりした迷彩にはなっていません(^_^;)
今回、足回りに施した泥色とマッチさせる自信がないので、パステルは使いませんでした。デカールも車体後部のナンバーのみで、考証無視です。私はその戦車の「普通の」姿が欲しいという想いがあって、車両が特定されるのほどの考証はあまり好みません。
履帯のドライブラシには、自分で調合したグレイシルバーを使いましたが、これは失敗。すなおにシルバーを使うべきでした。工作も反省点が多いです。
まあ、次回作に乞御期待ということで……(^_^;)/~
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