タニシの憂鬱


 私の弟は生き物が好きだ。
 犬、猫、虫、イモリ、カメ。なんでもござれで、幼いころからさまざまな生き物を飼ってきた。今は、チワワ犬の“ピンク”をこよなく愛している。
 類は友を呼ぶで、弟は、これまた生き物好きの女性と結婚した。彼女は、動物ばかりではなく植物も好きで、弟宅のベランダはちょっとしたミニ植物園と化している。
 この弟の妻――つまり私の義理の妹の通称やっちゃんが「蓮」を育てると言い出した。池の水面に浮いて大きな花を咲かせる、あの蓮である。

 「ミニ蓮がいいと思ったんだけど、なかったから、普通の蓮を買ってきちゃった」
 弟によると、帰宅するなり、やっちゃんが言ったそうである。
 「ふ〜ん。でも、普通の蓮って、大きいんだろ。普通の水槽で大丈夫なの?」
 「うん。本に書いてある。え〜と……最低60センチ四方、深さ45センチの水槽が……」
 「ろ、60せんちぃ!」

 やっちゃんは、いろいろと考えたあげく衣服の保管に使うプラスチックのカラーボックスに水を張って、巨大水槽の代わりに使うことにした。
 が、しかし、カラーボックスの水面に漂う蓮を眺めているうちに、やっちゃんの胸には別の一抹の不安が浮かんできた。

 「これ、ボウフラが湧くかも……」

 ボウフラが湧くということは、蚊が発生するということである。蚊という昆虫は、人間にとっても不愉快な存在だが、犬にとってはフィラリアという致命的な病気を媒介するやっかいなヤツなのだ。
 つまり、やっちゃんの胸に湧いた不安とは、彼女の横ですやすやと眠っているチワワ犬の“ピンク”の健康問題だった。

 「金魚か、メダカを飼おうってことになった」
 ある日、弟が私に言った。
 「あ、金魚にボウフラを食べさせようってわけね」と私。
 「来週、町内の夏祭があるでしょ。そんときに買ってこようと思って」

 結局、弟夫婦は金魚でなく、メダカを買った。

 「何匹買ったの」
 私が訊ねると、弟は言った。
 「8匹。タニシも2匹買った。魚がいると水槽が汚れるけど、タニシが掃除してくれるからね」
 「へえ。タニシなんか、夜店で売ってるんだ」

 弟は、しごくうれしそうだった。
 はからずも、連鎖反応的に飼いものが増えた感がないでもないが、これが生き物好きの性というものだ。まあ、お幸せな話ではある。
 そして、飼いものはその後も期せずして増えた。メダカが卵を生み、子メダカが生まれたのである。

 「やっちゃんがデパートにいく」
 「ふ〜ん」
 と、気のない返事の私。
 「水草を買いにいくんだ……」
 「ふ〜ん」
 「やっちゃんの興味は、完全に蓮からメダカに移ってる……」
 「ふ〜ん」
 「なんか、目に浮かぶんだよなあ。今ごろ、ピンクは寝ててさあ。その横で、やっちゃんが水槽をじーっと見てる。30分くらい、ひたすらじーっと見てる」

 実際、やっちゃんはそういう人なのである。
 結局、子メダカは20匹ほどになり、親メダカが子メダカを食べてしまうのを防ぐために、弟夫婦は別にもうひとつ水槽を揃えるハメになった。親メダカは1匹が死去して7匹になっていたから、メダカの合計は27匹である。
 ただし、メダカの増殖がこれで止まるという保障は何もない。
 ところが、弟はさらに続けた。

 「タニシも子ども産んだしさあ」
 「え?」
 「なんか、2ミリくらいの子タニシが水の中をウロウロしてるんだよね」

 家族全員、初めて知った事実であるが、タニシの繁殖力たるやメダカの比ではなかった。
 弟は、これ以後、カラーボックスを覗くたびに増えているタニシに、驚愕し続けることになる。

 「で、タニシは何匹になったの?」
 何日か経ったころ、私は弟に訊ねた。
 「数え切れない……強いて言えば、無数だね」
 「そんなに増えてるわけ!?」
 「なんだか、ロクに大きくならないうちに次々に卵を産んでるみたいでさあ。メダカに餌やると、小さなタニシがふーっと浮かんできて、その餌を食べるんだよなあ。このあいだなんか、蓮にタニシが食った痕があったし……」

 タニシが蓮を食べるにいたって、もはや当初の計画の目的合理性は完全に失われたと言えよう。
 目下、弟はこの「無数」のタニシをどうするかについて頭を悩ませている。
 案としては、「上野の不忍の池あたりに放す」というのが有力だが、生き物好きという人種にとって、飼っていた動物を「捨てる」というのは、どうにも良心の痛むものがある。

 「……鯉を飼うってのは、どうかなあ。あれは確か、タニシを食べるしさ」


 弟が「鯉を飼う」という案をどれほど真剣に考えているのか知らないが、鯉は成長するとかなりの大型になる魚である。
 チワワ、メダカ、タニシが順調に成長している弟宅では、鯉もまた順調に成長するに違いなく、私には、体長数十センチに達した鯉のために、新たに水槽を用意するハメになる弟夫婦の姿が目に浮かんだりする。
 もしかすると、弟宅なら鯉だって2匹以上飼えば繁殖するかも知れない。
 鯉なら、いくら増えても始末は簡単だ。人間が鯉こくにして食べればよい。そして、その結果、人間が繁殖するのであり――
 そういえば、弟宅では、人間は今のところ繁殖していない。
 うん。鯉を飼うのも悪くはなさそうだ。


COPY RIGHT:六高寺 弦 ROKKOJI Gen
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