Comment

 オリンピックイヤーには毎度話題のドーピングである。
 バレにくい新しい薬を見つけてくる選手やコーチが、検査方法とのイタチごっこを続けているのが実態、なんて話はよく耳にする。
 「イタチごっこ」という言葉には、ドーピングはなくなりはしないが、少なくとも当局はこれと互角に戦っている、というニュアンスがある。本当だろうか。
 この種の薬物利用が、一般社会に広まり、人類みなドーピングてなことになるとおもしろい、いや、もとい、そんなことにならないことを祈るばかりである。


ドーピングGメン

 「テクノロジンはやめろと言ったろう」
 加代子は俺を無視して、赤い錠剤をみっつばかり口に放りこんだ。
 「医事警察は、そろそろそいつに注目し始めてる。検査方法が開発されたらおしまいだぞ」
 「それじゃ、ドーピングポリスがまだ目をつけてない薬を教えてよ」と加代子がつっけんどんに言った。「私が薬を使うのが困るのはわかるわよ。ドーピングGメンの妻が薬を使ってるのがばれたら、あなたの出世もお終いですもんね。でも、今どき右脳活性剤を飲まないコンピュータ・エンジニアなんてどこにもいないわ」
 そう言うと、彼女は威勢よくドアを閉めて、会社に出かけてしまった。ほかのドーピングGメンに摘発されないうちに離婚しておいたほうが利口かも知れない、と俺は思った。
 加代子が摘発を免れているのは、ドーピングGメンである俺が薬物検査に関する情報を流しているからだ。それなのに、最近の彼女は少し大胆になり過ぎている。
 俺はそんなことを考えながら、黄色い錠剤を口に頬ばった。
 メンワレール。こいつを飲むと、他人の表情の変化を読むのが容易になる。今日はドーピング容疑者の取調べが2件あるのだ。2件とも容疑者を自白させて、点数を稼がなければならない。俺のライバルで課長候補の岩沢は、この1週間で5人もゲロさせているのだ。
 1時間後、俺は医事警察の取調室にいた。最初の容疑者は高校3年の大学受験生。未成年なので、母親同伴の出頭である。
 「ほう。こりゃまた、ずいぶんたくさん飲んだもんですな」俺は威高な態度で母親の顔を睨んだ。
 「なにかの間違いです」母親が消えいるような声で言った。「この子の偏差値は78もあるんですよ。そんなことをしなくたって一流大学に入れます」
 「そうだねえ。これだけ飲んでりゃ、学力は上がるだろうねえ。暗記科目はメモリナール、計算能力はノーキリット、語学能力はスラスラミン。うちの鑑識課の薬物効果シミュレーションだと、息子さんは薬抜きじゃ、せいぜい偏差値50前後、つまり受験生のまん中程度の実力だそうだ。秀才になったかわりに、副作用で肝臓がアル中なみにいかれちまってる。あんた、それでもこの子の母親かい?」
 「誰がそんなデマを流したんですか!?」母親の表情が変った。「この子の成績がいいもんだから、誰かがこの子を妬んで、陥しいれようとしているんだわ! そうだ……お向かいの前田さんかも知れない。ええそうよ、あそこの子はバカだから、頭のいいうちの子を妬んだに違いないわ」
 俺は母親の表情をじっと見つめた。メンワレールのおかげで相手の感情の動きが手にとるようにわかる。彼女は自分たちが絶望の崖っぷちに立っていることを知り、必死に最後の反撃を試みているのだ。
 「受験資格剥奪だな」俺はできるだけ無情に言いはなった。「証拠は揃ってる」
 「ひっ」と母親が息を飲みこんだ。興奮気味だった表情が一瞬まったくの無表情になり、次に泣き出す寸前といった感じになった。
 「もういいだろう、ママ。帰ろうよ」息子のほうが初めて口を開いた。さっきからの俺と母親のやりとりなど、全然聞いていない様子だった。
 「ま、もう少し軽く済ます手もないわけじゃないがね。供述書にサインすればいい」
 「罪を認めろって言うの……そんなことしたら、何もかもおしまいじゃないの」
 「そうでもない。自首したってことにしてやるよ。肝臓の悪化に驚いてドーピングポリスに出頭する気になったということにすれば、不自然じゃないだろう。それなら、受験資格停止1年ですむ」
 母親はハンカチで目のあたりを拭いながら、書類にサインした。
 実のところ、確実な証拠など無かった。タレこみがあったのは確かだが、薬物検査ではドーピング審判庁を納得させられるような証拠は得られなかった。俺が言った薬の名は、状況捜査の結果をもとにコンピュータが推定したものある。俺は母親の表情を見て、これなら陥すのはたやすいと踏み、押しの一手の作戦を選んだのだ。
 「もう片付いたんだろ。早く帰って勉強させろよ」母親はそう言う息子に引きずられるようにして取調室を出て行った。おや、偏執症を催起するパラノリンも飲んでたかな、と俺は思った。
 さて、次は小説家である。資料にはイマジネールとピリピリミンを服用の疑いとある。イマジネールは妄想力を高める効果をもち、ピリピリミンはワープロを叩く速度を猛烈に速くする。
 小説家は両手の指先をピクピクと震わせながら、取調室に入ってきた。ピリピリミンの常用者に特有の症状だ。
 「忙しくてしょうがないってときに、こんなところに呼びつけやがって」小説家が座りながら言った。
 「あなたをドーピングで告発した人がいるんですよ。ご承知だろうと思いますが、どんな職業でも薬を使って成果を上げれば、不公正労働ということになります」
 「あー? 告発? ふん、佐々木啓輔あたりが俺を陥れようとしてるんだろ。あいつは俺と同年デビューなのに、作品を発表する媒体もマイナーだし文学賞もとってない。ひがんでやがるんだ」
 「我々の調べによれば、あなたは先月の雑誌に短編を12本も発表していますね。ほかに連載が5本、書き下ろしの単行本が2冊。これはちょっと異常な分量のように思えますな」俺は小説家の書いた作品の一覧表をテーブルの上に置いた。「ええと……合計何枚になるかな」
 「才能の問題だよ。素人にはわからんだろうが、才能さえあれば、それくらい、ちょろいもんなんだ」
 俺は電卓を叩きながら、小説家の表情を伺った。眉間の皺のあいだから、焦りが滲み出ているのを、俺は見てとった。
 「佐々木啓輔なんかには、ひっくりかえってもできない芸当さ。やつの月産最高記録はたったの350枚だ。それも自分の才能だけじゃ書けなくて、アメリカにいる従兄弟の情報を使ってるらしい。あいつの国際サスペンス物は、みんなその従兄弟の情報で書かれてるんだ。俺が思うに、そいつはCIAの職員に違いない」
 話が関係のない方へ逸れている。あきらかにイマジネールの効果だ。
 「そうか、CIAの謀略かも知れん。俺も作品によくCIAを登場させるからな。しかもたいていは悪役だから、それで恨みを買ったのかな。いや、俺の書いた内容がたまたまCIAの本物の陰謀と一致してしまったのかも知れん。そのほうが話としてはおもしろい。陰謀を暴かれたと思いこんだCIAが俺を失脚させようとしているのだ。これは小説になるぞ、ふむ」
 「くそ、また間違った」俺は電卓から指を離して、わざわざ大声で悔しそうに言った。
 「あはっ、電卓もろくに使えんのか。ちょっと貸してみろ」
 小説家は俺の電卓をかっさらうと、目にもとまらぬ速さで指を動かし始めた。俺はピリピリミンの効果に目をみはった。
 「1231枚」
 「おみごと。今の指の動きをマジックミラー越しにビデオに撮らせていただきました。ドーピング審判庁に提出して強制薬物検査の手続きをとりたいと思います。今日のところはお帰りください」
 小説家は、お前もCIAだったのかとか何とか、わめきながら取調室を出ていった。かわいそうに、おそらく文壇を永久追放だろう。
 というわけで、今日の取調べは2件とも大成功だった。俺は取調べの結果を書類にまとめると、部長の部屋にそれを持っていった。いつものように報告して退出しようとすると、部長が俺を呼びとめた。
 「困ったことになった。スキャンダルだ。岩沢のやつが定期薬物検査にひっかかった……」部長は相当に困惑した顔で言った。「コウショウ散を使ってたんだ」
 コウショウ散は営業マンなどがよく用いる薬で、飲めば饒舌になり、やたらと説得力のある話ができるようになる。
 「それは厄介なことになりましたね」俺はできるだけ困った顔を作って言った。もちろん、心のなかではライバルの失脚に有頂天だ。
 「マスコミには隠しておけまい。頭が痛いよ……。ま、とにかく、明日岩沢がやる予定だった取調べは君が代ってくれたまえ」そう言って部長は俺に取調対象者のリストを渡した。
 まったくの幸運だった。岩沢の失脚ばかりではない。そのリストには俺の妻の名前が載っていたのだ。妻が岩沢に取調べられていたら、失脚するのは俺のほうだった。
 これで課長の椅子は確実に俺のものである。妻の加代子はとりあえず無罪放免にしておいて、適当な時期に離婚してしまえばいい。いや、この際毒殺してしまったほうが安全かも知れない。絶対にバレない毒殺法などいくらでもある。
 俺は自分のデスクで、こみあげてくる笑いを必死にこらえた。あまり我慢したので、胸のあたりが痛くなってきた。
 それがメンワレールの副作用による心不全の徴候であることに、俺はまだ気づいていなかった。


COPY RIGHT:六高寺 弦 ROKKOJI Gen
E-MAIL ADRRESS:rkj@ezoya.co.jp

BACK TO TOP