Comment「私」は常に外的な脅威の下にあるという意識が、私にはある。ところが、こういう脅威を受け入れることが好都合な場合が世の中には多々あるらしい。イデオロギー、ファッション、慣習、法律。多くの場合、脅威はすでに脅威として認識されることをやめている。 よいものなら信じてよい、受け入れてもよいとは、私は思わない。私にとって、「信じる」ことが、すでに「私」の浸食と破壊の第一歩なのだ。だから、私は信じない。考えることだけを望んでいる。 それが、私をしばしば嫌われ者にするとしても。 |
第四の亡命者目覚めると、私はまず手を見た。私のものであるはずの手より、白く、細かった。それは故郷に残してきた妻の手によく似ている気がした。 妻は、金のかかる女だった。私がこの旅に志願したのも、妻が原因だった。ふがいない夫の収入に対する彼女の非難から免れるための志願。とりあえずは、そういうことになっている。 私、すなわちリック・ラングラリとは、そんな男だ。耳の後ろに手術で埋めこまれたマイクロチップがそう教えている。私はこれから、ほかの三つのチップが作り出した現実に出会わなくてはならない。 「グエン」と女が名乗った。「サムソール地区の縦隊長。表の仕事はロケットエンジニア。パイロットライセンスを持ってるわ」 「俺はライセンスはないが、10年も非合法の連絡船を操ってたぜ。ゾンド市のナルワーだ」 3人目の女は「キルヨン」と名乗っただけだった。 このメンバーで、λ−45星系の惑星群のなかを数ヶ月旅するわけだ。いくつもの小惑星帯と多くの彗星の不規則な軌道が、このあたりの航行を機械のみには頼りがたいものにしている。ここは危険地帯であり、市民連邦の警備艇による拿捕の可能性も高かった。 「俺は、今までに30人もの捕虜の喉をかき切ったことになってる」ナルワーは目を閉じて言った。「こんな記憶は俺に合わないんじゃないかな」 「記憶は、被措置者の性格と矛盾しないように作られてるわ。あなたは実際、処刑係だったのよ」とグエンが冷たく言った。 記憶の設定は、サイクスと彼の率いるゲリラグループの性格の一面をそれぞれうまく表現していた。ナルワーの残酷さとグエンの冷めた落着ぶり。キルヨンの口数の少なさ(それは秀れたゲリラ兵士の必須の条件だ)。 私はどうだろう? 呆れるほど平凡な生活が私をとり巻いていた。チップは、私が小心で強妻家の下級公務員だと教えている。職業柄得られる情報を組織に流すのが、ゲリラとしての私の仕事だ。私は体制側の人間としては堕落し、反体制側の人間としては、もっと深い堕落の淵にとどまっている。 ナルワーがグエンと連れだって寝室に引きあげるのを見ると、私はキルヨンの手をとった。それはあらかじめ決められた組み合わせのように思われた。マイクロチップを疑う必要のない限り、欲望に逆らう必要もない。 「私、サイクスに抱かれているのかも知れないのね」ベッドのなかで、キルヨンが言った。女はその幻想に光忽としているようだった。 「君がサイクスなのかも知れない」 サイクスを男だと信じている者は多いが、それには何の根拠もない。サイクスについては、ゲリラたち自身、何も知らないのだ。そして今は、サイクス自身さえサイクスのことを何も知らない。ここにいる皆と同様、サイクスもまた、自分の脳髄に偽りの仮面を被っているからだ。 つまり私たちは、サイクスの潜む森、彼が姿を隠す情報迷宮だった。市民連邦の警備艇がこの船を拿捕したとしても、彼らはサイクスを特定できない。ゲリラと違い〈機械法官〉の命令に逆らえない彼らは、私たちを皆殺しにするわけにもいかない。私たちは、最悪の場合に備えたサイクスの最後の防衛線なのだ。 船内通話器のブザーが鳴った。グエンが私を呼んでいる。私はベッドに眠りこけるキルヨンをあとに、重力ブロックの狭い廊下に出た。 「積載貨物をチェックしたわ」とグエンが言った。「液化プロトンが12トン、天然ジルコニアなんかの希少物質が3トン」 「サイクスの亡命先での活動資金だ。市民連邦の紙切れなんかより、よほど確実だからな」 「乗組員が3名……」 その言葉の意味するところを理解するのに少し時間がかかった。 「予定された乗組員は3名。コンピュータの航行計画にはそうあるわ。それなのに、生命維持の対象は4名、食糧も生活物資も4人分あるのよ」 「間違いじゃないのか」 「4人目は暗殺者かも知れないわ。それも、おそらく〈奇妙な同志〉」 グエンの言う通りなら、連邦は順法精神を放棄したことになる。〈奇妙な同志〉はそれ自身非合法の存在である。彼らは〈機械法官〉の指示に従うつもりがないのだ。 〈奇妙な同志〉はチップによって自らの本性を幾重にも隠蔽した恐るべきスパイだ。正体を現わすまでは完全なゲリラ兵士。適当にヘマさえ犯す。だが、本性は無慈悲な殺戮者で、いざとなれば自分でアドレナリンの分泌量を増やすばかりでなく、戦闘機能を高めるための強化薬を全身にみなぎらせる。 今の彼はおそらく自分の任務を忘れているだろう。彼の任務の記憶はチップの記憶と置き代えられ、出番を待っているに違いない。第4の乗組員は、そのときがくるまで立派にサイクスを守る役目を果たすのだ。そして何かが――宇宙港の風景か特定の人物か?――何かはわからないが、必ずやってくる何かが彼の忠誠を呼び覚ますキーになる。 「犬を探す努力はしないのか」とナルワーが言った。 「方法はあるわ。リベリングよ。チップの疑似記憶を引き剥がしてみたら?」 「それでは、本来の任務がだいなしになってしまう」 それはチップのデータを設計した者が私たちに与えた非常手段である。しかし、今は何をしても敵の罠にはまるような気がした。 「そうよ」それまで黙っていたキルヨンが口を開いた。「それに〈奇妙な同志〉はリベリングに対処する方法を備えてると思うわ」彼女はそっと立ち上がり、皆から遠ざかるとレイガンを握った腕を掲げた。 「おい、何のつもりだ!」 叫んだナルワーに、レイガンが向けられていた。 「私がサイクスだというつもりはないわ。だだ、私は死にたくないの」 「撃てないわよ。知らないわけじゃないでしょう。乗組員は、お互いに相手を殺せないわ。マイクロチップがそうさせないのよ」 「そうよ。でも例外があるわ。サイクス自身と〈奇妙な同志〉。私がそのどちらかなら殺せるわ」 キルヨンは銃を向けたまま部屋の外に出て、ドアを閉めた。レイガンがドアの開閉装置に撃ちこまれる音が聞こえた。 「キルヨンが〈同志〉だと思うか?」とナルワーが言った。 「でも、彼女は撃たなかったわ」 「少なくとも、我々全員に銃を向けた」 「私だって、やりかねなかったことよ」 ナルワーは立ち上がり、ドアのところに行った。彼はポケットからナイフをとり出すと壊されたドアの横にある点検パネルをこじ開けた。 「キルヨンを追うべきだろうな」 私とグエンは無言でナルワーに同意した。発生した危険を排除すべきことには、何の疑問もない。 ナルワーの手にかかったドアは驚くほど簡単に開き、グエンは緊張した面持ちで銃を皆に手渡した。 「ショックガンよ。これなら殺さずに済むからチップも邪魔をしないわ」 部屋を出ると、私たちは、誰言うともなく別行動をとった。 私は銃をぶら下げたまま、自分の部屋に戻った。キルヨンを追うのはふたりに任せるつもりだった。卑怯な考え方だが、ふたりとキルヨンが争うことによって事態が打開されるかも知れないと思ったからである。 私はキルヨンのとった行動のことを、もう一度考えてみた。グエンは自分でもやったかも知れないことだと言ったが、それは本当だろう。マイクロチップは、乗組員同士の殺人行為を禁じているが、自分の身を守ることまで妨げてはいない。キルヨンの行動はチップの制約と矛盾してはいない。 だとしたら〈同志〉は誰だろうか。ナルワーは体力も戦闘経験も十分だ。暗殺者だとしたら確かに適任の能力の持主だ。その点から言えば、私は暗殺の任務にはもっとも不適当な人間だろう。グエンは体力では私に劣るかも知れないが、かなりの修羅場をくぐっている。 そこまで考えたとき、グエンがキルヨンを捕えたという連絡をよこした。 私は船の会議室に行く前に、ショックガンのエネルギーゲージをいっぱいに上げた。撃たれれば命にかかわるだろう。だが、私はこれを使えるだろうか? 使えたとしたら――私はその先を考えるのをやめ、その小ぶりの銃をポケットに収めた。 「キルヨンは危険よ」 気を失ったまま椅子に座っているキルヨンを横目で見ながら、グエンが言った。 「彼女が〈同志〉じゃなくても、たとえサイクスだったとしてもね」 「『囚人のマトリクス』というやつだ」ナルワーは口に憂鬱な笑みを浮べていた。「各人が自分のためだけに行動する場合、結局全員にとって最悪の結果をもたらすことがある。自分の罪を軽くするために共犯者の罪を自白する囚人と同じだ」 そのゲーム理論の古い学説は私も知っていた。宇宙航行のような乗組員の協力を欠かせない行為の場合は、シナリオの多くが破滅的な事故に直結する。 「暗殺者がいるとしても、今のところ彼は自分の任務を知らないわ。ここにいる全員がサイクスの味方として存在している。当面は協力可能でしょう」 「……リベリングをやろう」 私はふたりの顔を見ながら言った。巧妙に構成されたチップの秩序を壊すことになるが、放っておけばキルヨンの動揺は皆に感染するだろう。 「いいわ」 それぞれの自室にあるプロセッサの磁気ヘッド、そいつを耳の後ろに当て、特別なコマンドを入力すればいいだけだ。プロセッサの機能は船から完全に独立しているので、システム走査にはひっかからないというわけだ。 「ひとりづつやったほうがいい」とナルワーが言った。「〈奇妙な同志〉が正体を暴露したら、3人がかりでやっつけるんだ」 「反対よ。これは博打だわ。〈同志〉が正体を現わすとは限らない。ひとりがリベリングで動けないときに、そいつが動き出したら2対1よ」 「相手が〈奇妙な同志〉では危険過ぎる……」 結局は全員同時にリベリングを行うことになった。 部屋に戻った私は、プロセッサの磁気ヘッドを外してそのまま数時間を待った。リベリングで意識不明のまま殺されては堪らない。船内は人工冬眠中のように静まりかえっている。私はようやく決心してプロセッサにコマンドを打ちこんだ。 退屈なデスクワークの記憶。 リックと名乗る男がそこにいた。市民の身分をもつ下級官吏で、私の収入に不満をもつ口うるさい妻がいた。 その私に影のように重なるもうひとりの男、無力と平凡さから無縁の怪物が現れた。そいつは闇につつまれた安全な場所からゲリラを指揮している。身に着けた小市民の仮面をとり落とさないように、そいつは用心深く狡猾に仲間と敵を騙し、謎の英雄として崩壊しつつある秩序に君臨していた。 私はベッドからゆっくりと身を起した。ひどく頭が重い。 「私が彼なのか」 私、私、私―― 高官の暗殺、コンピュータへの心理攻撃、誘拐、情報破壊、拷問、処刑。すべてが私の計画なのか。 見ると、グエンが私の頭にレイガンをつきつけていた。彼女が銃のセイフティレバーを動かすのが見える。 「君が〈奇妙な同志〉なのか?」 グエンの表情はひどく緊張している。 「私だ……私がサイクスなんだ」陰惨な記憶が頭をかけめぐる。 彼女は銃をテーブルの上に置くと、両手で頭をかかえて溜息をついた。 「私はサイクスを尊敬してたわ。解放宣言の英雄、ジャクソンバラーの勝利者。でも目が覚めてみると、義父との不和が原因でゲリラになった、つまらない女だったのよ……。何んだかおかしかったわ……」 「サイクスは私だよ、グエン」 「私もサイクスなのよ、リック。グエンの記憶に、私がサイクスだったという記憶が重なっているの」 「俺もサイクスさ」ナルワーがグエンの横に立っていた。「情報破壊と爆弾のプロフェッショナル。たぐいまれな軍事的指揮官。無比の合理性と残酷さ……。まるで、ホログラフ・コミックのヒーローだ」 「チップを仕込んだ技師は、あまり私たちを信用していなかったようね。全員に二重の記憶をサービスしておいたのよ」 目を覚ましたてみたら、全員が自分がサイクスだと主張したのだ。ある意味では、全員に共通の結果が出たわけだ。最後に残った私に違う結果が出たら、私を殺すつもりだったらしい。 結局、私たちの真実はサイクスを待つ亡命先の仲間に握られているのだ。 「キルヨンも自分がサイクスだと言ってる。今は自分の部屋に閉じこもってるわ」 「どれかひとつが――記憶のひとつが本物のはずだ」 「ひとつはまったくの贋物だ」 「どうしたらいい?」 「考えがある」 私は航路の変更を提案した。航路を変え、宇宙空間で亡命先の連中とランデブーするのだ。それによって、我々は覚醒している必要がなくなる。人工冬眠装置に入っていれば、暗殺者も危険ではない。 「しかし、それでは直接船で行くより時間がかかるし、サイクスの戦線復帰が遅れるぞ」 「サイクスが死ぬよりましだ」 「もうひとつ問題があるわ」グエンが2人の議論を遮った。 「〈奇妙な同志〉はチャンスを永遠に失うのよ。私が彼だとしたらアイスカプセルに細工するわね。例えば、自分の冬眠期間を他の3人より短く変更するとか……」 「カプセルに入ってからでも、細工はできる。相互に監視するにしても、最後にカプセルに入る奴が〈同志〉だったら万事休すだ」 「おかしな言い方かも知れんが――」私は大きな溜息をついた。「お互いを信じる他はないな。今、この時のお互いをだ」 「妙なことを言うな」ナルワーの目つきが変わった。「あんたは、いろんなことを提案し過ぎるぜ。リベリングの件といい、あんたの提案は俺たちの当初の計画を狂わせるものばかりだ」 「ナルワー、何が言いたいの?」 「リベリングだ。何故、こいつだけ半日も余計な時間がかかった? ほかの3人とチップのプログラムに違いがあるからじゃないのか」 「冗談じゃない。それは――」 立ち上がった私の胸にナルワーのショックガンがつきつけられていた。彼はテーブルの上のレイガンをとると、私に向けられた銃をゆっくりとそれに持ち換えた。 「私を撃てば、自分が暗殺者だと証明するようなものだぞ」 「そうでもないぜ。俺があんたを撃てるってことは、あんたの方が仲間じゃないってことかも知れない」 撃つつもりだろうか。本当に私の心臓を黒焦げにしてしまうつもりだろうか。 「あんたは役人のインテリだ、リック。インテリってやつは明白な証明を好むもんだ。そうだろう、リック」 私はテーブルの下でポケットのショックガンをまさぐった。その手の動きにグエンが気づき、叫んだ。「リック!!」 ナルワーがグエンの方を見た瞬間、私は引き金を絞った。ナルワーは、もんどりうって床に倒れた。 「大丈夫、ショックガンだ」 グエンはナルワーの喉に手を当てて脈をみている。 「脈がないわ。パワーが強すぎたのよ。早く蘇生措置をしなくちゃ」 「何だって」 そのことに驚いたのは私のほうだった。パワーの調整が強すぎた。目盛りを最大限にまで上げておいたのだ。 「早く! 彼を運ぶのを手伝って」 忘れていた。忘れていたんだ――私はそう心のなかで繰り返した。しかし、それは疑わしかった。私は確かにナルワーを殺すつもりで撃った気がした。 必死にナルワーを引きずるグエンを横目に、私は部屋を出た。重力ブロックの白く塗られた壁がひどく目にしみる。壁の上のほうに設けられた通風口に向かってショックガンの照準を合せてみた。青い光が走り、正確にそこに吸いこまれた。 船そのものだって破壊できるかも知れない。私はキルヨンだってグエンだって殺せる。 戸がひとつ開き、キルヨンが飛び出した。彼女は私に一瞥を投げると、ふり返りさえせずに向こうに駆けていった。通話器でモニターしていてナルワーの身に起ったことを知ったのに違いない。 「銃など、撃ったこともない……」私は独り、声に出して言った。 テーブルの下から、ろくに狙いもしないでナルワーを麻痺させた。こんな技術は私のものではない。 そうだ。リックのものではない。 私はショックガンを持ったまま、廊下を走った。途中目につくものを撃つと、命中しないものはなかった。やがて、床に蹲るキルヨンが見えた。彼女は私に気づくと手近の部屋のドアを開けようとし、それが無駄とわかると、また駆け出した。私は飛ぶようにして彼女を追った。 「やめて。撃たないで」 やがて廊下の行き止りが見えた。キルヨンは狂ったように絶望の声を上げる。 「お願い……。お願いだから殺さないで」 私はしゃがみこんだキルヨンの前にゆっくりと座り、彼女に銃口を向けた。 「殺さない」私は静かに言った。「だが、殺せるという確信がある。何故だ?」 キルヨンは泣きじゃくるばかりだ。 「私がサイクスだからなのか、それとも暗殺者だからなのか?」 私はショックガンを彼女に手渡した。それは賭けだった。リックはキルヨンの攻撃性を抑制できるだろうか? キルヨンは銃をかかえるようにしてやっと持っている。銃を持たされても、彼女から恐怖が去った様子はない。 「撃つんだ。やってみろ」 「これは〈奇妙な同志〉のやり口だわ。相手を安心させといて、殺すんだわ」 確かに私が〈奇妙な同志〉なら、手刀の一撃でキルヨンを葬れるだろう。私は立ち上がりキルヨンから2、3歩下がって、彼女に有利な距離を与えてやった。そうして、私は頭のなかで数を勘定した。キルヨンは私が10数えるほどの時間をかけて、やっと私に銃口を向けた。両目に涙を溢れさせ、銃の握把を握るだけで精いっぱいといった様子だった。 「目を閉じるな。こっちをよく見るんだ」 「やっぱり、私がサイクスなのね。それで私を殺すんだわ」 彼女がそう言って銃口を下げた瞬間に、私は1歩のジャンプでキルヨンに迫り、肩口に手刀を見舞った。殺しはしなかった。この女はこれからの旅に必要だ。 私は確信をもった。キルヨンはやはり私を撃てなかった。リックの形象が彼女の攻撃衝動を抑制したのだ。私が外部からの潜入者なら、こんなことはあり得ない。 私はゲリラの一員だ。そして、私が皆を殺せるという事実。その事実は、今や私がただのゲリラではないということを意味している。私だけが皆を殺せる。私は特別な存在、この船でもっとも重要な存在なのだ。 選択すべき道は決まっていた。私の生存だけが重要なのだ。そうだ、私は今までもそのために平凡な下級官吏を装い、愚かな〈市民〉の妻との生活に耐えてきたのだ。くだらないが安全な生活。その隠れ蓑から出る私の命令のもとに多くの仲間が死んでいった。そのことに良心の仮借はない。サイクスこそはもっとも重要なのだから。私だけがゲリラの戦いの将来を握っていたし、今も握っているのだから。 私はキルヨンをそのままにして、再び重力ブロックの廊下を戻った。 医務室のコンパートメントはドアが開け放たれていて、私は慎重に部屋の内部をうかがった。集中治療システムの複雑な作動音が漏れている。治療台の上に意識を失ったままのナルワーが横たわっていた。グエンの姿はない。 私は集中治療システムのスイッチを切り、心拍数モニターが平坦になるのを確めた。その瞬間、一筋の青い光が背後から走った。 「ここにくると思ったわ!!」 光は私をかすめ、私は反射的に遮蔽物を求めて身を踊らせた。 「グエンか!?」 「ナルワーを殺したわね」ドアの影からグエンの声がした。「治療が済んだら自動的に人工冬眠に入るようにセットしておいたのに、随分無駄なことをしたわね」 そういう手段は思いつかなかった。ナルワーの死はまったく不必要だったわけだ。しかし、それはどっちでもいいことだ。問題はグエンの今の射撃だ。チップの抑制に勝てず狙いを逸らしたのか? 「あんたはサイクスじゃないわ、リック。サイクスは決してそんな無駄なまねはしない。彼はもっと頭の回転が早いのよ」 状況は私に不利だった。私が身を隠している治療台は、レイガンを防ぐ盾にはならない。私は周囲を何か利用できるものはないかと周囲を見回した。 「それで、君がサイクスだと言いたいのか」 「キルヨンを追ったとき、彼女は私を撃てなかったわ。私は絶対に〈奇妙な同志〉じゃない――」 「ナルワーを殺した私が暗殺者だと、そう言いたいんだな」 照明の配線。あれだ。 「キルヨンは私を撃つこともできなかったぞ」 「それは――」 彼女がそう言って思わず銃口を下げたのを合図に、私はショックガンを放った。照明の配線コードが弾け、辺りが一瞬で闇に包まれた。補助システムによって再び明りが灯るまで5秒ある。 廊下の明りが、グエンのシルエットを一方的に浮かび上がらせる。私が治療台の影から飛び出すと同時に、彼女は発砲しながら部屋のなかに跳びこんできた。それは最良の選択だったが、彼女の不利を埋め合せるには至らなかった。私の銃は3度閃光を発した。 周囲が明るくなり、グエンは私の足下にうつ伏せに倒れていた。息はあるようだったが、最大パワーのショックガンで撃たれた彼女は生きた死体も同然だった。片方の腕を彼女の首の付根に押しあて、もう一方の手を顎の辺りにかけてぐいと引く。骨の外れる鈍い音がして、終わりだった。 私は肩で大きく息をついた。胸の鼓動が落着いてくるに従って、勝利の感覚が次第に広がっていった。サイクスは常に最高の戦士だ。死の撒き散らされた空間こそ、彼に相応しい。 私はレイガンをとり、廊下に出た。キルヨンの手当をする仕事が残っている。 意識を失っているキルヨンが、廊下の行き止まりにしゃがみこんだまま、首をうなだれている。私は彼女を抱き起そうとした。 しかし、そのとき―― 死の臭いだ。 興奮と胸の高鳴り、悲しみと明日を戦い抜くための怒り。そんな連想がサイクスである私の脳裏に蘇った。敵の手による死! 「ばかな……」私は思わず声を上げた。悲鳴に近いものだったかも知れない。 キルヨンの額には、レイガンで撃たれた傷があった。周囲の焦げた丸い小さな穴が、閉じられた目と目のあいだにぽっかりと開いていた。 答えはひとつしかない。私がナルワーを殺しているあいだに、グエンが彼女をやったのだ。グエンは殺せた。キルヨンと同じように私を殺すこともできた。しくじっただけなんだ。 キルヨンは彼女を撃てなかったとグエンは言った。それではグエンがサイクスかなのか?だが、キルヨンは私を殺すこともできなかった。 キルヨンは恐怖に怖じ気づいていただけなのだろうか。それなら、グエンと私には暗殺者の疑いがかかる。 私はキルヨンの死体の両肩をつかんで彼女の顔を凝視した。 どっちなんだ!! グエンと私と―― 返事はあるはずもなく、重力ブロックの静けさが次第に恐怖となってリックである私の脳髄に滲んでいく。私のなかのサイクスは声を潜めて、チップの奥底に沈みこんでいた。 《市民連邦警察軍・多重暗号通信48RUG1743/Σ−28星域において発見された漂流船に関する報告》 本件宇宙船は航行データファイルによれば、Φ−39星域ないしλ−45星域より等速直進していたものと推定される。調査班は該当する行方不明船の出港記録の検索に努力してきたが、意外にも情報安定局の安定工作活動記録に答を発見することができた(ファイル名別掲)。 記録によれば、当時情報安定局はα星系12星域でもっとも有力なゲリラグループの首領であった〈サイクス〉と呼ばれる人物の亡命阻止に全力を上げていた。ゲリラ側の計画秘匿が完全なため実力阻止を諦めた安定局は、局の研究員ド・サラドムの提案をとりあげ、情報破壊工作に作戦を切りかえた。それはゲリラ側の情報システムに虚偽の情報を混入して、その情報安定指数を低下せしめようというものである。実際には投入を試みた30項目のうち2項目がゲリラ側のインフォ・ガードを突破できたに過ぎない。 ・4名の乗組員に対して3名だけが計画通りの「正当な」乗組員である。 ・〈サイクス〉以外の乗組員は〈サイクス〉の安全のためにお互いを殺傷できない。 サラドムの見解によれば、この2項目の虚偽情報によって亡命作戦のシナリオ展開の48.5%を失敗に導けるはずであった。 当時局内ではこの措置の効果を疑問視する声が高かったが、本件宇宙船の内部に発見された3名の他殺体と1名の自殺体は、この安定局の苦肉の作戦の実効性を半世紀ぶりに証明したものと言えよう。 尚、乗組員の一応のIDは確認されたが(データコード別掲)、〈サイクス〉については今のところ一切が不明である。 調査は続行されるが、〈サイクス〉を特定することは不可能と思われる。 |