Commentいささか天の邪鬼なところがあって、「そら泣け!」的な話を目にすると、ちょいと穿った見方をしたくなるのが、私という人間だ。タイトルからわかる通り『南極物語』のパロディである。 2匹の犬が生き残っていた! おお、感動! でも、それまで、絶対安全地帯だった南極の陸地(シロクマは北極の動物)に危険きわまりない肉食獣を放たれて、文字通り死ぬ目にあったペンギンの立場はどうなるの? 着想はそんなところである。 この作品を書いたのは、映画『南極物語』の公開の1年後くらいの時期だったと思う。パロディをやるにはタイミングが遅れ過ぎ。中身の方も、最後のオチの「ペギミンH」など50〜60年代の生まれで『ウルトラQ』観てる人じゃないと、まず理解不能。ううむ、問題多いなあ、これ。 |
難 局 物 語「犬を残すことになったのは、まずかったですね」と、相沢が言った。引き揚げ責任者の室田は無言で渋い顔をしていた。 世間の非難を浴びるだろうなあ。動物の犠牲ってのは、涙を誘うからなあ。 室田の考えていることは、大方そんなところだろうと相沢は思っていた。だから、室田が次のように言ったときには、ちょっと驚いた。 「犬どころじゃないんだよ……まいったなあ」 「え?」 「実はな」室田は、顔と顔が触れ合うほどに身をのり出して言った。「野々山を置き忘れた」 「は? 野々山というと、例の――」 野々山は取材と称して昭和基地にやって来た雑誌記者である。とは言っても、実際は失業者の別名とも言われるフリーライターで、基地の写真をちょっと撮るだけという話だったのが、物資の積み降ろしのドサクサ紛れに基地に居残ってしまった鼻つまみ者である。 「まずいんだよなあ。越冬が中止になっただけでも打撃だっていうのに……」室田が呻くように言った。 「そう言えば、あいつ昨日ひどく酔払っていましたね」 「あれは、あいつのいつもの手さ。隊員総出の仕事の前の晩には、いつも酔払いやがる。手伝いをさせられるのが嫌なんだ。三度に一度は本当に酔払って二日酔いだ」 「今朝も二日酔いで、やっこさん、表のごたごたに気づかなかったんですね」 「こっちも引き揚げ作業のクソ忙しさに、あいつのことなんかすっかり忘れてた……」 「どうするんですか」 「今から船を引き返すわけにもいかんしなあ。まいったなあ……」 「人が死んだとなったら、南極観測事業にとっては大変なマイナスですね」 「南極観測より、もっと公共事業に金を落とせなんて言う政治家がたくさんいるんだ」 「まいりましたね」 「まいったなあ」 「チェックメイトキングツー、チェックメイトキングツー、こちらホワイトロック。敵兵一名、こっちへやって来ます。どうぞ」 チョコマカが双眼鏡を覗きながら独り言を言っている。 「あ、こちらにだいぶ接近して来ました。指示を願います。どうぞ」 「あのなー」 チャプチャプはいいかげん頭に来ていた。 「もっとまじめに見張ってろよ。野蛮人のテレビにかぶれやがって」 「あの番組、面白いですよ。ヒーヒー博士の話じゃ、実際の組織的殺し合いがもとになっているそうです。興奮しますね、はっきし言って」 「お前、周回軌道の計算のときもテレビ見てたんだろ」 「はあ」 「はあじゃないよ、まったく。地上に降りるなんて、計画にはなかったんだからな。南の極地に降りたからいいよーなもんで、ほかのところだったら、今ごろ日干しになってるよ。この星の氷分はほとんど水の形で存在しているくらいで、そんなところに降りた日にゃ……。あ」 「どうしました」 「来たよ、来ましたよ。おい、早く通信機と双眼鏡を隠せ。クチバシはどこいった」 チョコマカとチャプチャプは機械類にあわてて雪をかぶせ、口に贋物のクチバシをつけて直立不動の姿勢をとった。まったくの偶然なのだが、こうすると彼らウィーキー人はこの星に生息するある種の鳥とそっくりになるのだ。泳ぐのに適応した翼、水かきのある足、背か黒で腹側が白い羽毛に覆われていることまで、クチバシの有無を除けば、その鳥〈ピンギン〉は彼らに実によく似ていた。 「でへえなあ」直立不動の姿勢のままチョコマカが言った。クチバシのために発音がおかしい。「30バールはありまふね。我々の身長の三倍だ」 「ばは、黙っへろ」 チョコマカとチャプチャプは息を殺して、ぶ厚い防寒着に身を包んだそいつが通り過ぎるのを待った。 野々山は二日酔いでガンガンする頭を両手でかかえながら目を覚ました。部屋はいつになく冷えこんでいて、ツララが下がりそうに寒かった。異変は、それですぐにわかった。 野々山は暖房を動かしているボイラー室に向かった。案の定、ボイラーは作動していない。窓から見えるはずの山積みの資材も、跡形もなく消え失せている。隊員の姿もまったくない。野々山は基地内をくまなく走りまわって自分にふりかかった災難を確認すると、窓の外の無限に続くとさえ思える氷原を見つめながら、ポツリと言った。 「げ、原稿どうしよう」 と、しんと静まりかえったなか「キャイン」という鳴き声が聞こえた。 氷原に軟着陸した宇宙船は、主動力の回路が故障していた。船長のチャプチャプの調べでは、離陸どころか開きっぱなしのハッチを閉じることさえ無理なようだった。 「ご苦労ね、船長」氷原にヒーヒー博士が寝そべっている。女性の寝姿とはいっても、彼女は四本足で体毛の濃いケンケン人で、色気はゼロであった。 「やっぱり修理には相当時間がかかりますよ。機関長を見ませんでしたか? 修理の準備を命令しておいたのに」 「ああ、オポポならピンギンのところよ。彼の故郷の恋人に似たピンギンがいるらしいの。羽根をパタパタするしぐさが、すっごくかわいいんですって。私だったら、二足獣が飼っているあのイヌヌとかいう動物のほうがいいけど。ケンケン星に生れていれば、大スターになれそうな男前が2、3匹いるわ」 危機感が足りねえなあ、とチャプチャプは思った。まあ、発展途上文明の調査なんかに志願するのは、みんな極楽トンボに決まってるけど……。 「ふえんちょうー」遠くからチャプチャプを呼ぶ声がした。見ると、チョコマカが腹で氷原を滑りながら、こちらにやって来る。 「ふえんちょう、へんちゅうのひょーすが変です。はんだか、きひをひひはへるひゅんびをはひめたみたい――」 「こら、落着け。クチバシをとれ、クチバシを」 原住民の二足獣たちが基地を引き揚げるようだと、チョコマカは報告した。初めての良い知らせだった。調査対象文明との接触は原則として禁止されている。これで安心して船の修理に専念できるというものである。 馬でもなく猫でもない。キリンでもなく、カバでもない。 犬が残されている。 野々山は青ざめた顔で、犬たちの鳴き声に耳をすました。悪夢を見ているような気分である。彼は犬が死ぬほど嫌いだったのだ。 犬たちは飢えていた。ただの犬でなく飢えた犬であることが、野々山をいっそう怯えさせていた。だからといって、基地に残されていた僅かな食糧を分けてやる気など、もちろん野々山にはない。むしろ早く死んでくれれば、ありがたいと思っていた。そうすれば、肉が食えるから。 そろそろ、見てみようかな、と野々山は腰を上げる。外は珍しくよく晴れていた。彼が犬たちの繋がれている場所に近づくと、犬たちは雪のなかからむっくりと身体を起した。 「ひい、ふう、みい……ふむ」 減っている。死んだ犬がいるのだ。死体は雪に埋もれているに違いない。 「このあたりかなー」野々山は四つん這いになって雪をかき分けた。 「キュンキュン、クーン」 声があまりにも近かったので、野々山は「ひっ」と小さく叫び、そのままの姿勢で凝固した。そんなばかな、まさか犬じゃないだろうなと思いながら後ろをふりむくと―― そこに、犬がいた。 犬は、ぶ厚い防寒着の尻のあたりを鼻先でつついている。そして、野々山は恐ろしい事実に気がついた。 首・輪・が・な・い 野々山はものすごい悲鳴を上げ、自分の悲鳴にまた心臓が止まるほど驚き、四つん這いのまま雪の上を駆けた。犬は吠えながら彼にまとわりついてくる。野々山は、四つん這い100メートル走競技なんてのがあれば確実に世界記録の猛スピードで、スノーモービルさながらの雪煙を蹴立てながら、氷の地平線めがけて走った。 チャプチャプとヒーヒーは小高い氷の丘の上からオポポの様子を見ていた。 オポポはピンギンたちの群れから少し離れたところに立ち、彼らを眺めている。 「あの後姿には、何だか哀愁を感じるわね」 「考えてみれば、ウィーキー星との交信宙域を離れて、もう随分たちますからね……。ホームシックも無理はない」 「チャプチャプ、あれはなに?」 ヒーヒーが指す方向を見ると、二足獣の基地の方から雪煙が近づいてくる。 「あれ? まだ残ってるやつがいたのか」 双眼鏡のなかで、二足獣が物凄いスピードで走っている。転がりながら四つん這いになり、また立ち上がっては走り、また転がり。はて、その後ろにいるのは……。 「なんか、家畜と遊んでいるみたいですね。例の毛むくじゃらの四足獣が数頭、やつを追っかけてます。こっちへ来るぞ」 チャプチャプは腹で雪原を滑っていってオポポに叫んだ。 「恋人を思い出してる場合じゃないぞ。二足獣がやって来る。早くクチバシをつけろ」 二人が大慌てでクチバシをつけ直立不動の姿勢をとったところで、二足獣が猛烈な勢いでピンギンの群れに突っ込んできた。 びゅん、と音がして、二足獣は脇目もふらず群れのなかを駆け抜けた。そいつは1、2匹のピンギンにぶつかり、蹴っとばされたピンギンが空中に舞った。 チャプチャプは、なんて乱暴なやつだと思ったが、後に続くイヌヌのほうはもっと乱暴だった。そいつらは、おとなしい無抵抗のピンギンに、いきなりガブリと噛みついたのである。ちぎられたピンギンの羽根を見て、彼は二足獣とイヌヌが遊んでいたのではないことに初めて気づいた。 「やばい、逃げろ」チャプチャプはクチバシを放り出して走った。 オポポも彼に従い、宇宙船のある方へと一目散に走る。 「あの娘を食いやがった。おーおー。あんなにおとなしくて、かわいい娘の羽根を食いちぎりやがった。おーおー」 オポポは泣きながら走っている。 彼らが宇宙船のハッチに飛びこむと、ヒーヒーがすでに退避して、舌をだらりと垂らし、はあはあと荒い息をついていた。 やっとひと安心。ところが、チャプチャプはその瞬間、部屋の隅に蹲っている二足獣に気がついた。イヌヌに追われていた二足獣も、ここに逃げこんでいたのだ。彼は直立不動の姿勢をとり、ついでクチバシをつけてないのを思い出して慌てて壁のほうを向いた。 「……どうしたのよ、チャプチャプ」ヒーヒーは二足獣の存在にまだ気づいていない。 「………」 「こんなとこでピンギンの真似して、どうするの。まさか私をあのイヌヌと勘違いしてるんじゃないでしょうね」 「………」 「わっ、い、犬だ」と二足獣が叫んだ。ヒーヒーの姿に気づいたのだ。ヒーヒーは飛び上がって体の向きを変えた。 「吠えるなよ。吠えないでくださいよ。俺なんか食べてもうまくないからね」 ヒーヒーを見てイヌヌだと思っているらしい。好都合だ。あのまま、船の外に出てくれよ……そうそう、いいぞ。外に出るんだ……。 チャプチャプがそう心に念じ、二足獣がハッチの外に片足を踏み出したときである。バンと音がして、宇宙船の奥のドアが開き、ふり向いた二足獣がまた「わっ」と驚きの声を上げた。 サングラスをかけ、ソフトドリンクのストローを口につっこんだチョコマカが、ドアを蹴とばしたままの格好で、そこに立っていた。 野々山はたまげた。 小高い丘の洞穴に飛びこんだところが、なかは機械でいっぱい。これは丘ではなくてUFOではないかと思っていると、犬が1匹入ってきてペラペラと言葉を喋り、ついでにサングラスをかけたクチバシのないペンギンが現れたんだから、まあ無理もない。 ひょっとして、これは宇宙人さんではないだろうか、と彼は思った。 「フレンド、フレンド。アイ・アム・ノット……えーと敵って何て言うんだっけな」 野々山は、英語なら宇宙人にも通じるだろうと何となく思っていた。 「あ、そうだ。エナミーだ、アイ・アム・エナミー。違う違う、ミステイク。Oh、アイ・アム・ミステイク」 ヒーヒーが最初に決断した。 「こーなっちゃ、胡麻化してもしょうがないわね」 彼女はきれいな日本語で言った。日本でオンエアされているテレビ番組を毎日のように見ていたので、お手のものだった。 「減棒ものだ」と、クチバシを外したチャプチャプが言った。「とうとう接触しちまった」 「減棒が何です! 船長、あれを見たでしょう。ピンギンが虐殺されているんですよ」 オポポが涙を流しながら野々山の膝に組みついた。 「お前らのせいだ。あんなに無邪気で平和に暮らしていたのに!」 あっけにとられる野々山の膝を、オポポは両方の羽根でパタパタとはたいた。 「ピンギンの心配をしている暇はないわ。チャプチャプ、あの開きっぱなしのハッチはいつ直るのよ」 チャプチャプはヒーヒーの言いたいことに気づいて、はっとした。今のままでは、あの狂暴な肉食獣たちの侵入を防げないではないか。主動力が回復するまでハッチは閉じられないし、船内の各ドアも対圧ロックをかけられない。 「あの……おとりこみ中もうしわけありませんが……」野々山が、いかにも恐る恐るといった感じで口を挟んだ。「犬がもうそこまで来ていますう」 「緊急事態だ。船長、武器を使いましょう。《皆殺し物理兵器》を使えばイチコロですよ」とチョコマカ。 「そんなもん使ったら大陸ごとふっとぶわよ」ヒーヒーは学者らしく、さすがに冷静だ。「船長、《皆殺し化学兵器》の用意を」 「畜生、武器を使うはめになるなんて、減棒どころか降格だぞ。みんなガスマスクの用意をしろ」 「ぽん」という音がして、カプセル状の物体が犬たちのほうへ飛んでいき、彼らの真上でまた「ぽん」といって破裂すると白い霧がたちこめた。その霧のなかから犬たちの「キヒューン」という鳴き声が聞こえてくる。 「猛毒だ。炭素系生物なら、ひとたまりもないはずだ」 霧が消えるようにひいていった。氷原に犬たちの黒い影だけが点々と見える。その点が星の瞬きを反転したように蠢いていた。 「生きてる……。信じられないわ……」 「はーっぴー!!」突然、野々山が底の抜けた桶みたいなすっとんきょうな声を出した。見ると、トロンとした目つきでニヤニヤと笑っている。 「この星の生き物には毒性効果がないんじゃないか」とチャプチャプが言った。 「そんなばかな……」ヒーヒーが早足に宇宙船の外に出た。 「博士、よしなさい」 「ペンギンちゃーん、仲よくしましょ。ボクとネンネしな〜い」野々山はチョコマカに抱きついた。 「な、何だ。気もち悪いな。こら、離れろ」 「交感神経が刺激されているみたいだな……。おい、マニュアルはどこだ」 「ええと、『主成分はリゼルギン酸ジエチルアミド。炭素系生物の99パーセントにとって致命的。ただし、ある種の例外的生物に対しては毒性が弱く、代わりに躁状態を喚起してむやみに姓欲を刺激し、中毒症状を喚起する』」 「ヒキャーン」 悲痛な叫びが船の外から聞こえた。見ると、四肢をへたりこませたヒーヒーに犬がのしかかっていた。 「みんなの前でレイプされるなんて……私もうだめ……キューン、キューン」 「気にしないことだよ。ええと、この星の言語にこんなときの慰め方があったな……」 チョコマカが傷の手当をしながら「『犬にでも噛まれたと思え』っていうのがありますよ」 「キューン、キューン」ヒーヒーは、ひときわ大きな声で泣いた。 チャプチャプはチョコマカを睨みつけてから、皆のほうを見た。 「さて、ヒーヒー博士の貞操を犠牲にして、危機はひとまず去った。しかし、イヌヌたちがまた襲ってくるのは間違いない」 「まだ武器はいくつかありますよ。いまオポポが――あれ? オポポがいない」 「チョコマカ、オポポは何をしていたんだ」 「《皆殺し生物兵器》を点検しにいったんです」 「いかん。あいつは恋人によく似たピンギンを殺されて、頭にきてるんだ。《皆殺し生物兵器》を使うつもりだぞ」 「使っちゃまずいんですか」 「本船に積まれている《皆殺し生物兵器》はペギペギ・タイプだ。危険すぎる」 チャプチャプとチョコマカはハッチを飛び出して走った。やがて、オポポの姿が遠くに点のように見えてきた。と、その瞬間。 「ぽん」という音がした。 「遅かった。カプセルの破裂音だ」 「ヒェーン」という異様な鳴き声。 「あれがペギペギだ」 ウィーキー人、つまりはペンギンとよく似た生き物がそこにいた。ただし、羽毛はなく、頭に曲がった角が1本、四角い羽根に短い爪が生えている。 「あいつが口から吐く冷凍光線は、目標の空間温度を絶対零度近くにまで下げてしまう。凶悪無比、狂暴至極のサイボーグ兵器で、体長は七五〇バール……あれ?」 「雲を突くような巨大さのはずですよねえ……」 「おっかしいなあ。あれじゃイヌヌより小さいくらいじゃないか……あーっ、そうか」 「どうしました」 「思い出した。ペギペギは体内に凝縮された栄養源をもっていて、食い物と言えば氷だけでいいんだが、成長するのに時間がかかるんだった」 「あ、あ。始まった、始まった。ありゃりゃ、あれじゃイヌヌといい勝負ですよ」 ペギペギの冷凍光線は射程が足りなかった。犬たちは冷凍光線の危険を察知し、ペギペギの正面を避けて巧妙に側面攻撃をかけた。 「羽根に噛みつかれちまった。軽いもんだから、振りまわされてますよ」 ぶん、と犬にひと振りされ、ペギペギは空中に放り上げられた。 「あっ、飛んだ……。はばたいてますよ。うまいもんですね」 「ばか、あれは逃げてるんだ」 「いけね」 チョコマカが地面に目を戻したときには、犬たちは空を見つめたまんまのオポポに向かって氷原を蹴っているところだった。「逃げろ、オポポ」 オポポは一目散に走った。 「ためだ。追いつかれちまう――ワン公、イヌヌ、こっちだ、こっち!!」 「チョコマカ、お前、何を考えてんだ。やつら、こっちに向きを変えたぞ」 「いいから任せてください。私たちが囮になってやらなきゃ、オポポがやられちまう。早くガスマスクを――」 犬が牙を剥き出しにして、チャプチャプたちに襲いかかろうとしたそのとき、チョコマカはエアゾール・スプレーのようなものをとり出し、そいつを犬たちの顔面めがけてシュッとやった。 「ヒヒューン、クーン、クーン」 犬は突然光忽とした表情になり、尻尾を激しく振ったと思うと、氷の上をゴロゴロと転がり始めた。 「お前、ひょっとして……」 「《皆殺し化学兵器》です。こんなこともあろうかと思いまして」 「ワ〜ンちゃ〜ん、愛してるよ〜」 いつのまにか野々山がやってきて、犬に抱きついた。 「あいつには特によく効くみたいだな。よし、決めた! 船には戻らんぞ」 「ええ!? マジですか」 「オポポとヒーヒーが船の修理を終えるまで、我々が囮になってイヌヌたちを引きつける。そのスプレーがあれば何とかなるだろ」 「……あのラリってんの、どうします?」 「連れていく。イヌヌの習性について何か知ってるだろうから、役に立つはずだ」 走ったり、滑ったり、転んだりの数カ月が始まった。犬に食われるか、犬がラリるかのサバイバル・ゲームだ。 「ぜいぜい、はあはあ。修理はまだかあ。もう3カ月も経ってるぞ。どうぞ」 『まだよ。でも、最近こっちにはイヌヌは現れないわ。どうぞ』 「どうも《皆殺し化学兵器》の中毒になったらしい。俺たちを喜々として追いかけてくる。どうぞ」 『ははは、バカみたい。どうぞ』 「あのなー、マジに頑張ってるんだから、早いとこ修理しろよ。通信終わり」 「こいつも中毒みたいですね。最近犬が現れるのが待ちどおしくて仕方がないみたいですよ」 野々山が雪原の彼方を見やりながら、何ごとかブツブツ言っているのに、チャプチャプは聞耳を立てた。 「……犬よこい。はあはあ。早くこい……はあはあ。シュッとやってちょうだい……」 「畜生。足手まといなだけだな、こいつは……」 「……船長、また来ましたよ」チョコマカが双眼鏡を覗いたまま言った。「2匹です。イヌヌもだいぶ減りましたね」 「中毒になって狩りをしなくなり飢死したやつ、ラリったまま崖から落ちたやつ。今残ってるのは、手強そうだぞ……。よし、迎撃準備」 「ちょっと船長」 「どうした、チョコマカ」 「スプレーがありません。あっ、この野郎」 野々山だった。野々山が、だらしなく大きく開けた口にスプレーのノズルをつっこんでシュッシュとやっていた。 「てめェ、早くそれをよこせ」チョコマカとチャプチャプは野々山を押えつけ、スプレーを奪おうとした。 「うー、うー」野々山はスプレーを離そうとしない。 「早くしろ。犬が近づいてるぞ。くそっ、この野郎、いいかげんにしねえか」 「も、もうだめだ」 2匹の犬はもう目の前に迫り、彼らを見据えて唸っていた。チョコマカとチャプチャプは野々山から手を離して観念した。 と、そのとき。 「キューン。ワン」 犬たちの様子が変った。2匹はひょいと後ろを向くと、空に向かって激しく吠えた。 「何だ。どうした」 空の彼方から爆音が響いた。 「あれは……そうだ、あれです。ほら、ヘリなんとかいう二足獣の飛行機械の音です。二足獣が戻ってきたんですよ」 犬たちは尻尾を激しく振りながら、その音のする方向に駆け去っていった。 「ふーっ。危機一髪だったな」と、チャプチャプが犬たちの後姿を見つめていると、無線機がピーという音を立てた。 『こちらホワイトロック、ヒーヒーよ。宇宙船の修理がやっと完了したわ。どうぞ』 「……遅いっちゅうに……」 『何か言った? どうぞ』 「タロー! ジロー!」 犬係が2匹の犬と抱き合っている。 「感動的ですねえ」と相沢が言った。「災い転じて福、というわけですね。これは美談になりますよ。南極観測事業にとって格好の宣伝材料です」 だが、室田は何故か渋い顔をしている。はて、どうしたんだろう。 「犬どこじゃないんだよ」 「はっ?」 「野々山が生きてた」 「野々山って、あの置き去りにされた――」 「どっかで氷詰めになっててくれりゃ、問題なかったんだがなあ。しかも、どーもオツムのほうがビョーキになっちまってるらしい。ペンギンが喋るとかどーのこーのと、わけのわからんことばかり言ってる」 「まずいなあ……」 「ちょっと、会ってみるか?」 野々山は基地の医務室にいた。保護されたときのままの格好でベッドに縛りつけられている。 「彼の話をまとめると、ペンギンにそっくりな宇宙人が犬たちに襲われ、犬が犯され、じゃなかった犬にそっくりな宇宙人が犬に強姦され、それでもって犬退治に使った毒ガスが実に気持ちよく――」 「もういい」室田が医師に言った。 「いい考えがあります」相沢が言った。「私、アメリカ人の知合いがいまして、それが麻薬中毒患者の施設の理事長なんです。野々山も麻薬がどーだこーだ言ってるようだし……このさい……」 「そこに送って、社会的に抹殺する」 「いいアイデアでしょう」 相沢と室田は、二人して野々山の顔を見た。 「くそっ、どうしても信じない気だな」 野々山はわずかに自由な手首を動かし、ポケットからスプレーをとり出すと、相沢たちに向かってリゼルギン酸ジエチルアミドをぶちまけた。 「スプレーの回収を忘れたって」 チャプチャプは遠ざかる地球を映し出すスクリーンの前で怒鳴った。 「はあ、離陸の準備に夢中で、つい……」 「こ、降格だ。お前、それ全部俺の責任になるんだよ。トホホホホ」 「この星の生き物に対しては、毒性が弱いってことがわかってるんだから大丈夫よ」とヒーヒー。「財団も大目に見てくれるわ。それよりねえ……」 「まだ何かあるのか」 「ペギペギのことも忘れてたわ」 「ひえっ」チャプチャプはのけぞった。「く、クビだ。あれは巨大化するんだぞ。巨大化したが最後、熱変換能力と冷凍光線で、惑星全体を熱死状態にしちまう。そうなったら、クビどころか刑務所行きだ」 「そんなこともあろうかと、手は打っておいたわ」ヒーヒーは落着いたものである。苔を植えておいたのよ。その苔からとれる毒はペギペギには致命的なの。あの二足獣たちも文明種族なんだから、いずれはそれを発見してペギペギを倒すでしょう」 「へえ、なんて毒なんですか」チョコマカが訊ねた。 「ペギミンHよ」 その後、原始文明調査財団の本部のあるウィーキー星に無事たどり着いたチャプチャプには、やはり降格処分が待っていた。 野々山の手でアメリカに持ち込まれたリゼルギン酸ジエチルアミド、すなわちLSDが大流行してしまったためである。 |